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先日、18年ぶりに根室の納沙布岬へ行ってきました。

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当日は天候にも恵まれ、海の向こうに国後島を見ることもできました。

周知の通り、国後島を含む北方領土は現在、ロシアの実効支配下にあります。無論私も、北方領土問題をめぐる日本政府の見解は承知しており、それ故に3年ほど前、北海道庁で北方領土返還を求める署名運動に名を連ねています。しかし、この海の向こうで「ロシア人の生活」が営まれていることもまた現実であり、普段大学の政治学講義で国民国家の重要性をしつこいほど強調している身としては、不思議かつ複雑な心境にさせられるところがありました。

さて、本年の新作は、中国と並び、このロシア…より正確に言えば、1980年代後半、ソビエト連邦と称していた頃の同国を主たる舞台とした作品となります。この度、その新作が脱稿しましたので、以下、ご案内致します。


『廃墟の中で』


1980年代後半、北京の大学へ進学した林美小は、長らく中断されていたソ連への学生派遣事業が再開されたとの報に接し、同事業に応募する。審査に見事合格し、モスクワの大学へと赴く美小。そこで彼女が目の当たりにしたのは、ペレストロイカの下で政治改革が進み、学生運動も芽生えつつあるソ連社会の姿だった。原発事故や兵器工場周辺の公害など、それまで隠蔽されていた事実を明るみに出そうとする友人たちを間近で目にする美小。しかし、1年間の派遣を終えて帰国した彼女を待っていたのは、政治改革を拒む祖国の姿だった。義憤に駆られ、民主化を求める学友たち。やがて彼らと権力者との対立は、初夏の天安門広場で頂点に達する…。

冷戦末期、社会主義体制をとってきた中国とソ連は、その制度疲労に直面し、改革に着手します。しかし、両国は互いに大きく異なる制度改革を進め、そしてそれは、社会主義体制の堅持と崩壊という、決定的な差異を各々の体制にもたらしました。本作は、その変動の時代を、両国を跨いだ視点から描いた小説です。大きく異なる歩みをたどった中国とソ連。しかし変動の時期にあって両国には、共に変化を求め、立ち上がった人々の姿がありました。歴史の中に封じられようとしている彼らの姿へと、思いを馳せていただければ幸いです。

基本価格は500円とし、今後、5月の文学フリマ東京、および金沢、6月の静岡文学マルシェ、7月の文学フリマ札幌にて頒布いたします。これらイベントへお越しの際は、是非お手にとっていただければと思います。
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2018.04.02 / Top↑
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本日、慶応義塾大学の三田キャンパスで行われた北東アジア学会という学会の年次大会で研究発表を行ってきました。

発表テーマは「民主化運動の延長としての反自由貿易運動:1980年代韓国におけるウルグアイ・ラウンド農業交渉への反応」というもの。

内容を簡単にまとめると、「日本のJA(農協)がそうであるように、民主主義国では、農民の政治運動は利益追求を目的とするロビー活動の形をとるが、韓国では農民団体が政治活動を、民主化運動と同様の反体制運動の一環として行っている。しかしそれは、農民団体を現実的な打算や政府との妥協から遠ざけ、結果として同国の農業ロビーを弱体化させる一因になっている」というもの。

韓国国会図書館の所蔵資料や、今年5月、および文学フリマ岩手の翌日である同9月にソウルで行った農民団体へのインタビュー調査を踏まえての発表でしたが、フロアーからも質問を頂き、充実した時となりました。

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さて、今回年次大会を開いた北東アジア学会の学術誌『北東アジア地域研究』が、去る9月に刊行されました。

この中に、私が投稿した研究ノート「韓国における親環境農業政策:政府主導型環境農政の課題およびその含意」が掲載されています。

ジャンルとしてはいわゆる政策レビューに属し、「1990年代以降先進国になった韓国は、国際競争下で自国の農業を維持していくため、有機農産物など高付加価値の農産物を生産するよう奨励してきた。しかしその政策は、『有機農業が環境に良い』という規範が先行しがちで、農民へのインセンティブの付与に乏しいため、成功していない」と論じています。

日本でも、官民を問わず、人を動かすのに『規範と規則で人を統制する』ばかりで『利益で人を誘導する』ことをしない、その結果動員が上手く進まない、という場面が多々見られます。今回のノートでは、韓国の環境農政もまた、その陥穽に嵌ってしまっているという分析結果を示しています。

学術誌ゆえ、大学の図書館などでは、閲覧できる場所もあるかと思います。もし本誌をお見かけの際は、お手に取って頂けますと幸いです。

本業の方では、今月14日に神戸で開かれる国際会議Asian Conference of Politics, Economics, and Law 2016でポスター発表を行い、来年2月にメリーランド州ボルティモアで開かれる国際会議International Studies Association 57th Annual Congressで口頭発表を行う予定であり、かつその間にジャーナルへの投稿締め切りがあるなど、向こうしばらく、予定が立て込んでいます。

その影響で文学フリマ京都には行けないなど、同人活動にも一定の影響が出ていますが、フランスを舞台とした新作は、現在11万字程と、来年初夏を完成目標としてゆっくりながらも描き進めております。こちらについても、御記憶頂けますと幸いです。
2016.10.09 / Top↑
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本日、ちょ古っ都製本工房より、5月1日の文学フリマ東京で頒布する新作『大陸と海洋の交差路』を受領しました。

上の写真右側が、新刊です。(ちなみに左側は、同時発注していた博士論文の製本版です)


『大陸と海洋の交差路』

那覇を訪れた香港の文化人類学者・唐瑞延は、これまで自身の沖縄での研究活動を支えてきてくれた台湾出身の恩人・安麗生の職場を訪ねる。台湾政府の意向を受け、長年台湾と沖縄の交流事業に携わってきた麗生は、定年を迎えたこともあり、所属する政府系機関を退職することになっていた。

長年に渡る学恩に礼を言い、また麗生の日台交流への尽力をねぎらう瑞延。そんな彼に麗生は、「これは回顧録にも書かなかったことなのだけれど…」と、ある秘密を打ち明けた。曰く、台湾人として沖縄との民間交流を深めてきたはずの彼女は、実は沖縄本島で、沖縄県民として生まれたのだという。なぜ、沖縄県民として生まれた人物が、台湾人になったのか。その疑問を抱いた瑞延に、麗生は「台湾疎開のことは、御存知かしら?」と問いかける…。


太平洋戦争末期、1万人を超える沖縄県民が、当時は同じ「日本」であった台湾へと疎開していきました。

やがて終戦。彼らの疎開先は中国国民党の支配下に入り、そして彼らの故郷・沖縄はアメリカ軍の支配下に入ります。疎開先も、そして故郷も「日本」ではなくなった日本人疎開民。1年以上も疎開先に留め置かれた後、彼らは米軍支配下の沖縄へ、すなわち中国からアメリカへ「帰る」ことになるのですが…その先には、単なる疎開民の帰郷と割り切ることのできない現実が待ち構えていました。

本来、著者である私が本業で専門としている地域は韓国であり、沖縄や台湾ではありません。

しかし、韓国留学中に軍事学のセミナーに出席していた私は、沖縄の基地問題を朝鮮半島有事と密接な結び付きを持つものとして扱う中で、日本国内における同問題をめぐる議論が「日米間の問題」としてのみ論じられがち(すなわち、当該問題の重要な当事者である台湾や韓国に背を向けた議論になっている)ことに、強い疑問を抱くようになりました。

本作品は、そうした疑問を原点の1つとしつつ、近年その実態が明かされるようになってきた台湾疎開を切り口として、両地域の戦後史を描いたものです。

字数22万強、B5版166ページで、頒布価格は500円です。

5月の文学フリマ東京で当ブースへお立ち寄りの際は、お手にとって頂けますと幸いです。
2016.04.06 / Top↑
ベトナムの首都・ハノイに来ています。

目下、私・高森は、太平洋戦争末期に行われた沖縄県民の台湾疎開を取り扱った小説を執筆しているところです。現時点で、同作品が字数にして15万あまりと、今年初夏の完成が見込めるところまで書けていることもあり、今年から来年にかけて書く小説の取材として当地に来ました。

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言わずと知れたホー・チ・ミン廟。ベトナム独立の指導者ホー・チ・ミンの遺体が安置されているほか、生前の彼が用いていた公邸なども整備の上、公開されています。

さて、いまはこの地に眠り、そして共産党によって多分に神格化されているホー・チ・ミンですが、若き日にはパリへ渡り、フランス共産党の支援下で働き、共産主義を学び、そして祖国独立を呼びかけていた時期もありました。

1920年代のパリには、彼以外にも多くのアジア人共産主義者が身を置いていました。例えば、後に中国の指導者として改革・開放を進めた鄧小平は、パリでホー・チ・ミンと親交がありました。

彼らは、若き日に異郷の地で共産主義の理想を抱いていたわけですが、しかし、帰国した彼らを待っていた現実は、決して明るいものではありませんでした。

東西冷戦下における、西側陣営との戦争、内乱、そして共産主義国との同士討ち。彼らの中には、時に理想を裏切られ、時に理想を叶えられないまま力尽きた者もいました。

ただ、(マルクス・レーニン主義の妥当性はさておき)彼らが若き日に抱いた理想と希望は、まぎれもない本物であり、今日のアジアにも強い影響を与えました。

来年にかけて書く小説は、そんな彼らの激動の人生を、パリと北京、そしてここハノイを舞台として描く作品です。

完成はかなり先のことになりますが、ご記憶いただけますと幸いです。
2016.01.08 / Top↑
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渋谷区の初台にある新国立劇場で、同劇場バレエ団の公演を見てきました。

公演内容の一つ「トロイ・ゲーム」は、男性出演者の勇ましい動きと掛け声で始まるも、実はステレオタイプとしての「男性的な力強さ」をコミカルに風刺した作品。

昨年12月にパリのオペラ座で鑑賞した、バレエ作品としてはオーソドキシーに属するであろう「泉」とは対照的な、しかしバレエが表現できるものの幅広さを実感した、楽しい作品でした。


さて、昨年3月から1年余りをかけて執筆してきた新作が、このほど脱稿いたしました。

作品名は、『異邦人の土地』。主たる舞台は、1970年代のインドシナ(ベトナムおよびカンボジア)です。

<以下、あらすじ>

1979年、隣国カンボジアに攻め込んだベトナム軍の兵士、グエン・ズン・アンは、首都プノンペンでおぞましい光景を目にする。

学校の校舎らしき建物と、その建物の内外に散らばる無数の惨殺死体。

当時のカンボジアでは‘S-21’と呼ばれ、今日では「トゥール・スレン収容所」として知られる、政治犯強制収容所であった。

収容所内に入ったグエン・ズン・アンは、そこで散乱する死体を前に立ち尽くす一つの人影を目にし、その人影に銃を向ける。

だが、その人影の主たる男は、カンボジア人でもベトナム人でもなかった。彼は、中国人だったのである。

なぜ、解放直後のカンボジアの強制収容所に、中国人の男が立っていたのか?

それは、20世紀後半のカンボジアを諸外国の者たち、即ち「異邦人」たちが翻弄し、時に蹂躙してきた結果であった…。


<あらすじ、以上>

今年4月、ベトナム戦争は終結から40年を迎えます。しかし、ベトナム戦争の終結は、インドシナに平和をもたらすものではありませんでした。

ベトナム戦争終結の直前、隣国カンボジアではポル・ポト率いるカンボジア共産党が政権を掌握。権力を握ったポル・ポトは、反体制派やインテリなど、一説には100万人以上ともいわれる自国民を虐殺することとなります。

本作は、そうした時代のカンボジアを、ベトナム軍兵士と中国人工員という二人の主人公を中心に描くことで、国際的な視点から捉えようとするものです。

初稿時点での字数は51万強(文庫本換算1000ページ)。頒布価格は500円の予定。

4月19日の第一回文学フリマ金沢を皮切りに、5月4日の第二十回文学フリマ東京、および6月6日の第4回福岡ポエイチにて頒布する予定です。

それぞれのイベントで私・高森のブースへお越しの際は、是非、お手にとって頂ければと思います。
2015.03.16 / Top↑