FC2ブログ
昨日、福岡ドームで開催された同人誌即売会·COMIC CITY福岡48に出店いたしました。

東方の販売作品計10冊は2時間半で売り切れました。途中、学部生の頃のサークル仲間(学部では「政治研究会」というサークルに入っていました)がブースに遊びに来てくれるという「サプライズ」があったほか、文フリ福岡でご縁のある同人サークルさんと交流も持てたなど、充実した時間となりました。心より御礼申し上げます。

IMG_20190203_165717.jpg
即売会場から早めに撤収させていただいた後は、「2枚きっぷ」を使って唐津へと行ってきました。

IMG_20190203_164031.jpg
唐津城の天守閣からは玄界灘がよく見え、この海の先わずか200kmの距離に釜山があるのかと思ったところで、改めて日韓が物理的に近いのだと実感しました。

私の本業での専門は韓国政治であり、ここ2年ほどは韓国へ月に一度の頻度で「通う」立場にあります。が、東京·ソウル間は国際線としては短距離に属しますが、それでも直線距離で750マイル、1200kmあります。九州北部·釜山間はその6分の1あまりの距離しかない訳で、以前博多港から乗ったビートルが3時間で釜山港に着いたことを思い出したりしました。

かくも物理的に近い日本と韓国ですが、周知のように、政治的には軋轢が少なくありません。最近は私も、この辺について授業や学会で学生、或いは他分野を専門とする研究者から質問を受けることが多くなりました。

大韓民国は、その建国の起源や基盤をどこに設定するのか、議論の分かれる国です。ただ、大韓民国成立の経緯をどう解釈するにしても、この国が35年に及んだ日本統治時代を「アンチテーゼ」として政府を樹立し、それを国家の「基軸」としてきた点に異論を差し挟む人はほとんどいません。

つまり韓国は、「日本統治時代は暗黒の時代」という認識が広く共有されている国です。そして同国はこれまで、その認識を、国家·社会における「規範」として確立してきており、その規範に挑戦することを「重大なタブー」としてきた、というのが、私の理解です。

韓国に限らず、人間の集団は、ある規範を確立してしまうと、その規範に次第にがんじがらめにされていきます。つまり、一度できあがった規範が一人歩きし、集団内の人間を従属させていくのです。

その結果、韓国の公的空間では、日本統治時代に批判的で居続けることが「正義」になってしまう。その正義に異論をぶつけるというのは、「悪」ということになります。

誤解を恐れずに言うなら、「電車内にて飲食したり、携帯電話で通話するのはマナー違反」という規範意識が一人歩きした結果、「飛行機や新幹線で勝手に座席のバックレストを倒すのは、後ろの人に迷惑なのでマナー違反」「夏の通勤電車で扇子を使うのは、汗くさい空気が周囲に広がるのでマナー違反」と、ひどく窮屈な主張が出てくるようになったのと似たようなもの…というと、お分かりいただけるかもしれません。

前方座席の客にバックレストを倒され、苦情を申し立てているエコノミー客に「追加料金を払ってビジネスクラスに乗ったらどうです?シートピッチも広く、快適ですよ」と正論をぶつけても話は通じないでしょう。苦情を申し立てている本人の中では、バックレストを倒した前方の客が「悪」なのですから。

韓国において日本、特に戦前の日本や、それに通じる諸要素を「悪」と断じて疑わない言説は、それに相通じるものを含んでいると、私は考えています。

無論、それだけが日韓政府の対話がこじれている原因というわけではありません。しかし、こうした「規範意識の一人歩き」が、日韓間の議論を硬直化させる要因の一つになっているのは、否定できないのではないでしょうか。

ただ、電車内のマナー云々の話と違い、国家間関係は常に本音(official)と建前(practical)の二重構造になっています。広島と長崎への原爆投下を批判的に見る日本人が、だからといって身近にいるアメリカ人に暴力を振るわないのと一緒で、政府間の関係と個人の次元の関係は、決してシンクロしている訳ではありません。

その意味では、現在の日韓関係のような状況下では、政府間の対立を無理に解こうとするよりも、両国関係を本音と建前の交差する二重構造と見なした上で、そこを巧みにすり抜けていく、柔軟な国際感覚がより重要になっていく、と言えるでしょう。
スポンサーサイト
2019.02.04 / Top↑
IMG_20181223_130643.jpg
IMG_20181224_115630.jpg

本業での所属先が冬休み入りしたのに伴い、中欧のオーストリアとスロバキアへ行ってきました。

冷戦時代、東側陣営に属していた国としては、これまでポーランドとハンガリー、それに旧東ドイツにあたるドイツ東部を巡ったことがありますが、いずれも空路での訪問でした。それに対して今回は、中立国オーストリアから陸路でのスロバキア入り。ウィーンからブラティスラヴァへ列車で移動してみると、スロバキア国内に入った途端、停車駅の造りが「大規模で見映えを重視する一方、バリアフリー化などの使い勝手は軽視される」という旧ソ連圏でお馴染みのものに変わったりと、両国の違いを一目で見てとれる場面がいくつもありました。

冷戦終結から来年で30年。今やオーストリアもスロバキアも、ともにEU加盟国であり、通貨もユーロ、シェンゲン協定加盟国で相互の出入国審査も行ってはいません。それでも、両国の違いを一目で見てとれてしまうところに、かつての「鉄のカーテン」が、いかにヨーロッパを分断していたのかを肌で感じました。

さて、年内の当ブログ更新はこれが最後となります。

来年も今年と同じく、全国各地の即売会に出店することを予定しており、現時点で

02/03 COMIC CITY福岡
02/24 文学フリマ広島
03/21 Text-Revolutions (東京)
03/24 文学フリマ前橋
04/20 文学フリマ金沢
05/06 文学フリマ東京
06/09 文学フリマ岩手

への出店が確定しております。また、現在13万字余りを書いた段階にある、パレスチナを舞台とした新作は、5月の文学フリマ東京での販売開始を見込んでおります。

本年、同人活動でご縁のあった皆様に心からの感謝を。

良いお年をお迎え下さい。
2018.12.28 / Top↑
先週末から今週始めにかけて、中国西部·新疆ウイグル自治区のウルムチとトルファンへ行ってきました。東アジア政治専攻という立場もあり、中国へは沿岸部を中心に年1-2回のペースで足を運んでいますが、少数民族自治区に行ったのは、2010年2月の内モンゴル自治区以来約9年ぶり、2回目となります。

中国最西部にあたり、トルキスタンとも呼ばれるウイグル。いわゆるシルクロードの上に位置しているということもあり、滞在中は

IMG_20181210_130430.jpg
IMG_20181210_131733.jpg
IMG_20181210_101626.jpg
中央アジアの入口たることを実感させる史跡や、荒涼たる大地など、旅する者を惹き付ける要素には事欠きませんでした。

ただ他方でウイグルは、現在、中華人民共和国の施政下にある中では、チベット自治区と並んで独立運動と政治的抑圧の連鎖が深刻な地域。現時点ではチベットと違い、入境が許可制になるところまではいっていませんが、

IMG_20181209_155655.jpg
地下鉄に乗る際のセキュリティチェックでは財布の中身まで調べられ、

IMG_20181208_171423.jpg
ウルムチ都心部のウイグル人が多く住む区画は検問所を通らないと行くことができず、

IMG_20000101_055223.jpg
モスクで礼拝を行う際は警察官が立ち会わなければならず、

IMG_20181208_161346.jpg
警察官の立ち会いがない場合、モスクは閉鎖しておかなくてはなりません。なお、未成年者のモスクへの立ち入りは規制されており、モスクの社交場としての機能は失われています。

市街地には500mおきに交番があり、ウイグル人に対しては警察官が日常的に職質をかけています。

斯様な状況については、既にメディアなどで報じられ、西側諸国の政府や人権団体などから強い批判を受けていますので、この場で詳しく記すことはしません。

ただ、東アジア政治の研究者として、当地の状況と、それに対する民主主義諸国からの批判には、思うところがなくもありません。

ウイグルやチベットのこうした現状を批判する議論の多くは、共産党一党支配体制を敷く中国の非民主的な政治システムが、こうした抑圧を生んでいると指摘しています。中国が、私たち日本人の考える「民主主義」とは程遠い政治体制の下にあることは明白な事実であり、6.4天安門事件を例に出すまでもなく、政治的自由を大きく制限していることを考えれば、上述のような批判が的を射ていることは明白です。私も、この点に異論はありません。

ただ、私がここで強調しておきたいのは、ウイグルやチベットでみられるこの種の抑圧は、共産党の支配「だけ」によってもたらされているものではないということ。

言い換えれば、中国が民主化すれば、ウイグルやチベットでの抑圧や迫害が止む…と安易に期待してはいけないということです。

というのも、私の所属学会でもしばしば論じられることですが、昨今の中国政府が見せる抑圧的・高圧的な姿勢は、非民主的な政治体制だけでなく、漢族の自民族中心主義(ethno-centrism)によっても促されているからです。

あらゆる民族がそうであるように、中国の多数派民族である漢族の中にも、自民族を高く持ち上げ、他の民族を低く見る思想の持主はいます。そして彼らは、自国のプレゼンスの向上を追い風として、ウイグルやチベット、内モンゴルの少数民族に同化を迫るような行動さえとる。それがウイグルやチベットの現状であり、そしてその行動原理が東を向いた時、尖閣諸島や東シナ海、或いは南シナ海で見られるような膨張主義となって表れる、と論じる中国研究者も少なくありません。

そして、ここで注意しなければならいのは、「自民族中心主義は、民主主義体制下でも生命力を持つ」という不都合な現実です。

民主主義体制を取りながら、エスノ・セントリズムに駆られ、少数派や外来者を排除する政治的な動きは、世界中至るところで見られます。

アラブ人を二級国民扱いしてきたイスラエルは、しかし1948年の建国以来一貫して民主的な政治秩序を維持しており、西欧的な基準でいえば、「中東唯一の民主主義国」です。

フランスやオーストリアをはじめ、移民に対して攻撃的な言説を躊躇しない極右政党が議会に議席を持つ国は、ヨーロッパにいくつもあります。

付言するならば、少々事情は異なりますが、1980年代から目立つようになり、時に激しい反日行動にもつながる韓国のショービニズムも、当初日本では、「民主化すれば収まるだろう」と期待する向きがありました。…が、実際にはご存知の通り。今の韓国では、自分たちがショービニズムに駆られて発した主張に、自分たち自身が縛られてしまっているという人がしばしばメディアに登場しています。

日本も、そこから自由ではいられないということを、忘れてはいけません。

無論、フランスしかり、アメリカしかり、日本しかり、民主主義国では、自民族中心主義に駆られた攻撃的な言説が登場すると、それに対するカウンターアクションが起こります。そして民主主義は、そうしたカウンターアクションの余地を保証する役割を担っています。この点、中国に自民族中心主義を諫める政治空間が保証されているか、疑問は拭えません。

今なお、世界の各地では抑圧や排除を伴う政治が営まれています。しかし、その抑圧や排除がどういった発想を動力にしているのか、私たちは冷静に考えなければなりません。この冷静な考察を飛ばしてしまえば、抑圧や排除を止めるより良い解決策が提示できなくなるからです。

-15℃にもなる寒さの中を歩きながら、デモクラシーとエスノ・セントリズムについて考える…今回のウイグル訪問は、そんな機会にもなりました。
2018.12.15 / Top↑
IMG_20181103_140453.jpg
勤務先が学祭期間に入り、教務がお休みとなったこの1週間、エア•チャイナの格安チケットを利用し、ネパールを旅行してきました。南アジアを訪れるのは、2月末のスリランカ以来となります。

IMG_20181103_140951.jpg
チベット仏教のストゥーパが建つ一方、

IMG_20181104_121107.jpg
ガンジス川へと至る川の畔にはヒンドゥー教の寺院と火葬場があるという、様々な文化的要素が共存する国•ネパール。

IMG_20181104_153158.jpg
エベレストに代表される大自然も含め、同国の様々な魅力を堪能させていただきました。

このようにアトラクティブな要素を数多く抱く国•ネパールですが、一方でその経済水準は低く、国連の基準では途上国の中でも特に貧しい国、いわゆる後発発展途上国に分類されています。

海運を利用できない内陸国であり、なおかつその地形は急峻。自国を挟む形となっている中国とインドは、一時は国境紛争を起こしたこともあるセンシティブな関係。さらに、1990年代後半から10年間続いたマオイストとの内戦と、その一方で起こった王族の内紛と君主制の崩壊。様々な困難に見舞われてきた同国は、2000年代まで経済的な発展を阻まれてきました。

しかし、政情に一応の安定を見た近年のネパールは、観光産業の発展という追い風を受け、また、

IMG_20181103_105131.jpg
IMG_20181103_102206.jpg
日中が援助合戦を繰り広げるなど、経済発展の環境を大きく好転させてきています。

ネパール政府も、自国の公務員を日韓などの先進国に留学させるなど人材開発に乗り出しており、国連開発計画の資料などを読む限りでは、向こう10年以内に後発発展途上国を卒業する見込みとされています。

ただ、後発途上国の段階を脱却するということは、言うなれば貧困のレベルが多少緩和されたということでしかなく、その先には日本や韓国、或いは台湾が経てきたような、長い発展の道のりがあります。

そしてネパールの場合、その「発展」には経済的側面だけでなく、政治的側面も含まれるということを見逃してはいけません。1990年代初頭、ビレンドラ国王の時代に議会政治を本格的に導入した同国は、ギャネンドラ国王が親政に乗り出したことが君主制廃止、共和制導入の契機になったほど民主主義志向の強い国。他方、マオイストと和解の上で営まれてきた過去10年あまりの同国政治は、短命内閣が相次ぎ、しばしば議会が混乱するなど、決して安定しているとは言えません。

この点、同じアジアの民主主義国である日本や台湾、韓国から提供できる知見は少なくありません。短命内閣が相次いでもそれが大きな混乱にならない日本。政党の改編•離合集散が激しいのに、選挙自体は毎回冷静に、公正に行われる韓国。文化的土壌の大きく異なる西洋の政治を無理に目指さなくても、自国の状況を踏まえた「とても完璧ではないが、持続可能な民主主義」のあり方を提示できる余地は小さくありません。

そうした政治体制をめぐる知見の抽出は、最終的には政治学の研究者が担うべき仕事となりましょう。その点で今回のネパール訪問は、自分の仕事の意義を再確認する機会ともなりました。
2018.11.06 / Top↑
9月から10月にかけては、各地の大学で秋学期が始まる時期であると同時に、国内外で学会が相次いで行われる時期でもあります。

私も、都合のつく限り学会発表の機会は多く設けるようにしているので、

IMG_20180917_090022.jpg
9月17日に東京の所属先で、

IMG_20180925_114541.jpg
9月24日にブダペストのCentral European Universityで研究発表を行い、続く9月30日には京都の立命館大学での発表を予定していたのですが、

IMG_20180930_112553.jpg
台風の影響で京阪神地区の列車が運休。それに伴い、研究発表は延期となりました。

当初の予定では、9月29日から30日にかけて学会に出席し、その後、先斗町にあるお気に入りの店で夕食をとってから帰京…などということを考えていたので、帰路として予約していた新幹線は台風のピークに当たって運休。幸い、京都駅近くに手頃な宿がとれたこともあって、京都滞在を1日延ばすこととしました。

IMG_20180930_131611.jpg
急遽時間の空いた30日は、午前中から昼過ぎにかけて嵐山へ。このところ、京都での周遊先は鞍馬・貴船や比叡山などの叡山電車沿線が多く、嵐電沿線を回ったのは5、6年ぶりでした。渡月橋は先日の台風21号で下流側の欄干が流失しており、先日、そして今回と相次ぐ台風被害に心を痛める場面もありましたが、初めて京都を訪れたというインバウンドの旅行客の方と話をする機会も得るなど、充実したひと時となりました。

その後、台風が通り過ぎた後の1日に東京へ戻ったのですが、このトラブルに起因する意図せざる結果ながら、

IMG_20181001_135627.jpg
開業記念日である10月1日に、東海道新幹線に乗ることとなりました。

1964年10月1日に開業した東海道新幹線は、今日では定員1323名の列車が10分おきに走り、繁忙期にはそれでも立席が出るという、まさに我が国の大動脈である訳ですが、「鉄道斜陽化」が「常識」として語られていた1960年代当時、世界銀行から融資をとりつけてまで500kmの高速鉄道を建設することには、世論の少なからぬ批判がありました。

以前の記事でも引用したことのある文言ですが、この批判に向き合ったある国鉄幹部は、新幹線開業の半年前に刊行された著書の中で、このように訴えています。

新幹線に対する評価は今なお一致していない。「そのうちに、新幹線の用地が高速道路に転用される時代が来る」という交通専門家もいる。そのような時代が来るか来ないかは、将来の実績が明らかにしてくれるだろう。

我々は今後長く利用されるものと信じて新幹線をつくったのである。十九世紀末に先人がこしらえた東海道線は、何十年後の今日、幾多の改良を経て、ますます大きな役割を果たしている。それと同じように、二十世紀後半の新幹線も、我々の思いも及ばないような革新を重ねながら、二十一世紀の将来においても国の大動脈として長い生命を持つことを期待したい。

(角本良平『東海道新幹線』中央公論社、1964年)

その後の東海道新幹線の歩みは、冷静かつ正確な現状認識に基づいて下された判断は、時に常識を覆すということを私たちに教えてくれます。そして私は、研究者という職に就いていることもあり、この「冷静・正確な判断は、時に通念を覆す」ことを、自らのモットーとしてきました。通念を覆すことが、「誰か」の利益になると信じつつ…。

そのモットーに基づいてこれまで書いてきた論文を、多少なりとも認めていただいた、ということになるのでしょうか。私は、この度所属学会の一つより「北東アジア学会優秀論文賞」という学会賞を授かりました。関係者の皆様に、心から御礼申し上げます。

もとより、地域研究の学会による、若手向けを意識した論文賞です。30代半ばにして、ようやく自分の研究が一定の価値を認められるようになったに過ぎない…と捉えるべきでしょう。より「上」を目指し、しかし同時に、先行研究に潜む通念に挑み、新しい「何か」を提示する自分の作業が「誰かの利益」になることを引き続き信じ、研究活動を続けていきたいと思っています。

<おまけ>
IMG_20181001_130027.jpg
昨日、静岡県の富士川橋梁を通過中の新幹線から撮影した車窓です。快晴に恵まれ、富士山がよく見えました。
2018.10.02 / Top↑