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去る土日、所属している学会の年次大会が福井で開かれ、私も韓国の農村開発政策について分科会報告を行ってきました。報告時間は発表本体が40分に、コメンテーターによる討論が10分、そしてフロアーを交えた質疑応答が35分。社会科学系の学会としては長い時間枠を頂けたことで、発表者としては議論の提示を駆け足でする必要がなくなり、かつ発表内容に対する質問や意見も一通り出尽くすところまでいったので、とても充実した、建設的な時間を過ごすことが出来ました。

さて今回は、先日ご案内した『共和国の貴族』と並んで、来月の文学フリマで頒布する長編『帰るべき国』についてご案内させていただきます。

この作品は、3年前に書いた長編を全面的に改訂したもので、20世紀半ばの東アジア各国を舞台として、純粋に物質的な豊かさを追い求めた一人の男が、その願望ゆえに国家を営む者たちから異端者として排除されていく過程を描いたものです。


『帰るべき国』

日本統治下の朝鮮の農村。反日抗議運動に加わった両親を殺された少年ファン・シンベクは、朝鮮民族の独立を絶対的な正義と信じて疑わない祖母から、父と母の遺志を継ぐよう諭される。

しかし少年は、その残された家族からの説得に背を向ける。得体の知れない「民族」なるものに振り回されて命を落とすよりも、貧しい朝鮮の農村から脱出し、豊かな生活を手に入れたい、と。

やがて京城(現・ソウル)へと上京した少年は、日本企業の忠実なる社員として働き、更には勤務先企業の中国大陸進出にも関わるようになる。そして、進出先の中国で接触した、中国国民党間諜への協力。やがて成人となったファン・シンベクは、背信に次ぐ背信を重ねた。全ては、貧しい農村では決して送ることの出来ない、豊かな生活のために…。

1945年8月15日、第二次世界大戦が終結。豊かさを追い求め続けたファン・シンベクは、一方では対日協力者として、他方では対国民党協力者として、戦前の行為を咎められるようになっていく。その後にやってきた朝鮮戦争に、中国大陸のプロレタリア文化大革命。東アジアのどの国にも安寧たる居場所を得られなくなった彼はやがて…。


かつて東アジアを覆っていた貧困と、そこから抜け出すことを願い、豊かな生活に憧れていた多くの人々の姿を、そしてその憧れを抱く人々を排除・否定の対象とした現代アジアの政治・社会変動を、左派的なイデオロギー色に頼ることなく、寧ろ保守的な色彩の強い著者自身の視点を通じて描き出した作品です。

字数は50万弱(文庫本換算で1000ページ弱)、頒布価格は500円です。

私がこれまでに書いた小説の中では最も長いものですが、同じく2番目に長い『疎遠なる同胞』(ちなみに来月のイベントではこちらも頒布します)と並び、読者の方々からの評判が非常に良かった作品でもあります。文学フリマへお越しの際は、是非お手にとっていただければと思います。
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2012.10.17 / Top↑
来月の文学フリマまで時間がありますが、先日京都の印刷業者さん「ちょ古っ都製本工房」より新作の製本版が届きましたので、ご案内させていただきます。

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作品名『共和国の貴族』

1984年4月、日本人大蔵官僚の日野徹は、マニラに本部を置く国際機関・アジア開発銀行(通称ADB)への2年間の出向命令を受け、フィリピンへと降り立つ。折りしも同国は、前年8月に野党上院議員ベニグノ・アキノが空港で白昼堂々暗殺されるなど、大統領フェルディナンド・マルコスの強権支配と、それに対する野党陣営の反発により、政情不安へと陥っていた。

着任からしばらくして日野は、フィリピン政府が計画している港湾開発事業の視察のため、マニラ南方100kmに位置する都市・バタンガスへと向かう。そこで日野を印象付けたのは、この島国に相変わらず根を張り続けている貧困もさることながら、日野の出向先であるADBにおもねり、何とかして港湾開発のための融資を取り付けようとするフィリピン政府と、その子飼いたる地元村長の執念だった。

「独裁者マルコスのバラ巻き政策に融資などするべきではない。それはマルコスの独裁を是認することになりかねない」フィリピン人エリートを中心に、港湾開発に対する厳しい批判の声が起こる。しかし日野はそこに、同国上流階級の根底にある願望―成り上がりの独裁者に過ぎないマルコスを追放し、自分たちが国を支配したい―をはっきりと嗅ぎ取る。その願望は、独裁者を批判する「民主化勢力」という立場によって巧妙に隠された本心だと言えた。

インフラ整備で人心掌握を狙う独裁者に、エリート階級の利己心からそれに反対する野党支持層。フィリピン国外に目を転じれば、自分たちの言う通りにならないマルコスを持て余し、フィリピンへの経済支援を減らすことでこれに対処しようとするアメリカ。アジアの一国であるにも拘らず、そのアメリカの顔色を伺い、追従してばかりの日本政府。更には、政府や大企業が関わるというだけの理由で港湾開発を阻止しようとする市民団体…。

「港湾開発をすることで最も恩恵を被るのは誰か」その視点がことごとく欠落している現状に、日野は言い表しようのないフラストレーションを覚えずにいはいられなかった。

そんな中日野は、バタンガスで知り合い、言葉を交わすようになった貧困層の女性からこう告げられる。

「私の夫は、ここバタンガスの港がろくに整備もされていなかったせいで海難事故に巻き込まれ、命を落としたの。もう、そういう犠牲は出したくない。勿論、港の開発がマルコスの『人気取り』に過ぎないことは百も承知しているわ。でも、今尚この港の周りに住んでいる人たちの為にも、港湾開発を実現してほしい」

彼女の言葉が、日野の態度を定める決定打となった。アキノ暗殺事件の容疑者を政府が放免し、マルコス政権に対する内外の批判がいよいよ頂点に達しようとする中、彼はバタンガス港の開発事業に対する融資を完遂させるべく奔走する…。



権力者の邪な思惑から出た施策というものは、多くの場合、その出自の『穢れ』ゆえに強い批判を浴びます。そしてこうした批判は、正義の色合いを帯び、抗いがたい潮流へと広がっていくのです。

勿論、1986年のフィリピン民主化がマルコスの専横に甘んじることを潔しとしない人々の情熱によってもたらされたことは言うまでもありません。

しかし、そうした人々の情熱と、実際のフィリピン民主化が辿った過程との間には、少なからぬ距離があります。そして、その少なからぬ距離を見過ごすことは、時に重要な問いを見逃すことになってしまうのです。

即ち、「たとえ独裁者が邪な思惑を以って打ち出した施策であっても、それによって救われる人がいるのなら、その施策は進めるべきではないのか?」という問いです。

本作品は、こうした問題意識の下に書かれました。

分量は文庫本換算で500ページ程度、頒布価格は500円です。

来月18日の文学フリマにおいて、多くの方に手にとっていただければ幸いです。
2012.10.05 / Top↑