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6月8・9日に福岡市で開かれる第2回福岡ポエイチの開催まで、あと1週間となりました。

既に本ブログおよびポエイチ公式ウェブサイトで当日の頒布作品3種類についてはご案内をしていますが、改めて当該作品について記しておきます。


<第2回福岡ポエイチ頒布作品>

『憧憬の弾丸・日本語版』(2013年)…1974年に起きた朴正煕・韓国大統領暗殺未遂事件、その事件で「第二の犯人」になったかもしれない人物を追う短編。無料頒布ですが、残部数僅少のため、興味のある方はお早めに。

『赤道直下の海峡・改訂版』(2013年/初版2009年)…1998年のインドネシア民主化、およびマレー世界におけるエスニシティ問題を、シンガポールに留学した日本人学生の視点から描いた長編。300円。

『共和国の貴族』(2012年)…1986年のフィリピン民主化を、マニラに赴任した日本人大蔵官僚の視点から捉えた長編。500円。


現在、私・高森は今秋の完成を目指して、タイのインドシナ難民問題を題材にイデオロギーと国家アイデンティティを追った長編小説を書いています。現時点での執筆状況は全体の5割程度(約9万字)。比較的順調に筆が進んでいるので、今後の文学フリマの出展状況などと併せ、夏頃には詳しいご案内が出来るかと思います。こちらについても、心にとどめておいていただけますと幸いです。
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2013.05.31 / Top↑
先週の金曜日、明治学院大学で開かれたとある研究発表会に出席してまいりました。


「日本の朝鮮統治期における明治学院留学生に関する共同研究」研究発表会



私は、院生としての学籍は明治大学大学院に置いていますが、学期中の平日は明治学院大学で事務の仕事をさせて頂いており、その御縁でこちらの研究発表会に参加させていただく機会を得ました。

明治学院は今年が創立150周年。戦前から存続する教育機関ということもあり、朝鮮朝末期から日本統治期にかけて少なからぬ朝鮮人学生を受け入れていたようです。

今回の研究会では、その朝鮮人学生の1人であり、後に著名な小説家となった李光洙について、外部の先生による研究発表が行われました。

本来、私の専門は政治学であり、(韓国という接点があるとはいえ)歴史や文学といった人文系の研究会はアウェー・ゲームのようなものなのですが、今回の発表は、そんなディシプリンの垣根を越えて面白かった。

李光洙。韓国在住歴のある人であれば、大抵の人はその名を聞いたことがあります。それほど、小説家・李光洙の韓国国内での知名度は高いといえます。

ただし、その著名ぶりは多くの人から愛される国民的作家としてではなく、日本統治下で総督府に歩み寄った「親日派」作家としてのもの。

あの国における「親日派」というレッテル貼りが、顔面に唾棄するにも等しい侮辱であることは…今さら言うまでもありませんね。韓国で親しい友人ができると、その友人から「俺は親日派だから」と冗談を飛ばされることがあったりするのですが、非公式な場面での「俺は親日派」という宣言が面白さ・滑稽さを帯びることは、それだけ公的な場で「親日派」という言葉が持つ印象が否定的であるということを意味します。

発表をされた先生は、韓国における「親日派」作家・李光洙の生涯を各種資料を用いて分かりやすくトレースされた後、彼への批判や再評価には時代ごとにムラがあり、その評価が必ずしも一枚岩ではないこと、そして李光洙を含む「親日派」人士の多くが、日本統治下での生活と民族主義思想を両立させるために「二枚舌」ないし「本音と建前」の使い分けを駆使していた旨を述べられていました。加えて、自由が制限された状況下、狭い言論空間の中を行き抜く知恵として駆使された「二枚舌」「本音と建前」の感覚・技量は、自由な環境に生まれ育った人間には容易には理解できないであろう、とも。

東アジア政治を専攻し、韓国やインドネシアといった開発主義諸国の政治状況について研究していると、権威主義という抑圧的な政治体制の下で少なからぬ人々が本音(practically)と建前(officially)を巧みに駆使し、政治的に生き延びた後、民主化後に台頭する光景を目にします。彼らが逆風の中を行き抜く過程で身につけた二面性や方便のテクニックは、一応フェアな選挙制度の下にいる人間からすると、「狡猾」「日和見」という印象すら覚えるほど。

万国共通、およそ社会というに値するものが形成されている場所には必ずタブーがあり、本音と建前の乖離が不可避的に生じる訳ですが、何らかの形である場所の言論空間が制限される、ないし抑圧されるという状況に陥る時、その場所では当該乖離が一層激しくなる、という普遍的な法則を改めて認識する機会となりました。

発表後、私の側から、韓国での親日派糾弾が持つ極めて政治的なロジック・レトリックについて発表者の先生に質問をする時間がいただけたこともあり、大変に充実した研究発表会となりました。
2013.05.27 / Top↑
昨日、京都の印刷屋さん「ちょ古っ都製本工房」から、第2回福岡ポエイチにて有償頒布する冊子が届きました。

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同イベントでは、前々回の記事で改めて紹介した『共和国の貴族』を頒布予定であり、ポエイチの出展物紹介ページにも写真と紹介分を載せていただきましたが、今回は、この『共和国の貴族』と並んで頒布する長編小説『赤道直下の海峡』についてご紹介します。


『赤道直下の海峡』(2009年執筆/2013年全面改訂)
2008年、長期在外研究のためにシンガポールへやってきた若手政治学者・高木は、現地の友人から「アルファというインドネシア人女性が君に会いたがっている」と聞かされる。友人の話を聞いた彼は、すぐに「アルファ」なる女性に連絡をとった。彼女の存在、そして彼女との再会は、高木に10年前、交換留学生としてシンガポールで4か月を過ごしたことを思い出させる。1998年半ばに彼は、ふとしたことでこのインドネシア人女性と出会い、そして当時インドネシア全土を駆け巡った激震、すなわち同国の民主化と縁を持つようになるのである…。


近現代史の事象を題材とした小説を頒布していると、その題材となった事象と同時代を生きてこられた方とお話をする機会が多々あります。

文化大革命下の中国が登場する『帰るべき国』を頒布していた折、「自分は若い頃、文革に揺れる中国をテレビやラジオの『ニュース』として見聞していた」という方とお話をしたことがありました。

また、ベトナム戦争末期のサイゴンを舞台にした『疎遠なる同胞』を頒布していた折、「ベトナム戦争と聞くとベ平連を思い出す」という方にお会いしたこともありました。

私は現在29歳なので、生まれる前の出来事であるサイゴン陥落や文革の記憶は、勿論ありません。『共和国の貴族』で描かれるフィリピン民主化も、ずっと後になって「過去の出来事」として学びました。1984年生まれの私がリアルタイムで世界の事象を見聞きするようになったのは、小学校1年生の時の湾岸戦争、同2年生の時のソビエト連邦解体あたりからです。

上記の諸作品に対し、この『赤道直下の海峡』は、私自身も現在進行中の出来事として見聞きした記憶のある、インドネシアの民主化を題材としています。

1960年代から30年余りに渡ってインドネシアの大統領として君臨してきたスハルトの下野。それは、一面では確かに東南アジア最大の人口を抱える国の『民主化』であり、政治的自由の拡大、政府による暴力からの解放という歓迎すべきものでした。

しかし、この『民主化』によって打倒されることになるスハルト政権には、多様なエスニック集団、宗教、言語を曲がりなりにも1つの国家としてまとめ上げ(インドネシア共和国の国章には「多様性の中の統一」という文言が刻まれています)、そしてオランダ統治下で専ら収奪を受けるだけだったインドネシア経済を発展させたという側面もありました。

『民主化』によって打ち倒されようとしている独裁政権は、他面では『開発』を実現した政権でもあった―スハルト政権崩壊にまつわるこの2つの側面は、政権崩壊当時からメディアでも盛んに言及されていたと記憶しています。本作品は、この2つの側面を、インドネシアとシンガポールを往復することになる日本人留学生の視点から描き出します。

B5版100ページ(単行本換算約300ページ)、頒布価格は300円です。
2013.05.18 / Top↑
この度、Twitterのアカウントを作成しました。

https://twitter.com/takamori_j
本ブログのリンク欄にも上記アカウントを加えておきますので、時折でもご覧頂けると幸いです。
2013.05.15 / Top↑
昨日は「母の日」でした。

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孝行息子には程遠い私・高森ですが、先週1週間、写真のように上着の胸ポケットにカーネーションの造花を差してみたところ、なかなかの好評と相成りました。

さて、6月8・9日の両日に福岡で開かれる即売会・福岡ポエイチまで、あと1か月を切りました。

先月大阪で開かれた文学フリマで有償頒布作品が売り切れてしまっていたので、本日、福岡にて有償頒布する予定の作品2種類の印刷・製本を発注しました。

2種類のうち、1種類は第十五回・第十六回の文学フリマでも頒布した『共和国の貴族』です。

1980年代半ば、マニラに赴任することとなった大蔵官僚の視点から、フィリピンの民主化と貧困問題を描いた作品です。

今更ですが、携帯のメモリーに昨年1月のフィリピン訪問時の写真があったのでこれをアップしつつ、改めて作品の内容を紹介します。

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↑こちらが主人公の赴任先となる、マニラ市内のアジア開発銀行本部。しばらく前に日銀総裁に就任した黒田さんの前職は、ここの総裁でしたね。

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↑そして、こちらが『共和国の貴族』の重要な舞台となる、バタンガス州の港町・サンタクララ。

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↑近年開発事業がすすめられたこともあり、港の施設は近代的ですが、そこから少し内陸へいくと、こうした平屋建ての住宅が連なる、いかにも東南アジアの地方都市らしい光景が広がっています。

この港湾開発事業は日本の円借款を受けて行われたものなのですが、本作品では、これを国際機関であるアジア開発銀行からの借款によるものと脚色した上で物語を進めています。

1980年代、フィリピンのマルコス政権は大々的な汚職に経済的停滞、そして反政府勢力への弾圧により、国民からの支持を失っていました。そうした政権を打倒しようとして多くの人々が立ち上がり、やがてそれは1986年、ピープル・パワーないしエドサ革命と呼ばれる民主化に結実する訳ですが、しかしその政変は、決してフィリピンにバラ色の未来をもたらすものではありませんでした。

アジア開発銀行に出向となった本作の主人公は、マルコス政権の強権的支配を目の当たりにする一方、それに抵抗する人々の背後に、階級社会であるフィリピンの上流階級たることに固執しようとする者たちの存在を見出すことになります。

そして主人公は、一国際機関・一銀行の職員として、自らが最善と判断する行動をとるようになります…。

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↑あくまでフィクションとして描かれる本作品ですが、このマニラのスラム街に見て取れる貧困という問題を、日英両言語の資料を駆使して描き出してあります。

http://www.youtube.com/watch?v=Q-FlcQ2xelU
ただし、本作品はフィリピンを単に貧困国と見なすものでは断じてありません。ホセ・リサールに代表される多くの聡明且つ勇敢な愛国者を生み出し、今日も数多くの「無名なる英雄」を有する同国の風景をも味わえる作品になっております。(こちらの動画は、フィリピンのテレビ局GMA7の国歌PV。同局はここに張り付けた2013年版のほか、一昨年にもフィリピン国歌のPVを作成したのですが、いずれも非常に完成度の高い作品で、同国の歴史と尊厳をわずか2分の映像にみごとなまでに凝縮しています。是非ご覧ください)

『共和国の貴族』。福岡ポエイチへお越しの際は、是非お手にとっていただけたらと思います。

尚、上述のように、福岡ポエイチではもう1つ、東南アジアを舞台とした作品を有償頒布します。こちらについては、また後日…。
2013.05.13 / Top↑
6月23日に神戸で学会発表を行う予定になっていて、今そのフルペーパーを書いています。

で、発表の準備をする傍ら、神戸市内の宿泊先を予約したり、往復の交通手段を検討したり、はたまた学会翌日の月曜に有休とって有馬温泉に行くことを画策したり(!)しているんですがね…。

私の所属先は、学会出張の旅費について特に交通手段を指定してはいないので、首都圏から神戸へ行く際、基本的な移動手段は「飛行機で神戸空港か、新幹線で新神戸か」の二者択一になります。

先月の文学フリマで大阪へ行った際に飛行機を使ったこともあり、今回は新幹線を使うことにしました。

と、6月下旬に東海道・山陽新幹線に乗る予定を立てたところで、ふと過去を思い出すに至りまして…。「そういや、『アレ』から3年が経ったんだな…」と。



3年前の6月、私はそれまで2年弱在籍していた韓国・高麗大学の博士課程を退学し、日本へ戻ってきました。その際、ソウルから東京へダイレクトには飛ばず、ソウルから福岡へ飛び、福岡で知人たちと会った後、新幹線で首都圏にある地元へ戻ることにしたのです。

そもそも、私が高麗大の博士課程に留学する契機となったのは、修士課程2年目の時、とある研究会で高麗大出身の研究者から「私の母校に来ないか?最初の2年間は奨学金を得て勉強できるぞ」と誘われたことでした。

その言葉に偽りはなく、高麗大は私に、博士課程標準在籍期間である2年間に渡って奨学金を支給し、経済的な憂いなく勉強する機会を与えてくれました。

が、理系ならいざ知らず、政治学の分野で修士号取得後2年にして博士号が取れるほど学問の世界は甘くはない。

結局私は、標準在籍期間が満了する直前、学部時代の友人がくれた「大学事務の仕事、譲るけど、どう?」というオファーをきっかけとして、博士号を取得することなく日本へ帰国する道を選んだのです。(この友人のオファーがなければ、当時の私は物心両面で行き詰まっていたかもしれず…。今は二児の母であるこの友人に、私は未だ充分な恩返しができずにいます)



学部・修士の6年間を凡庸な私立大学で過ごしてきた自分が「優秀な人材」だと思ったことなど、一度としてありません。

それでも、18歳の春に大学の門を叩いて以来、絶えず追い風だけを受け続けていた私にとって、「26歳の自分が博士号を持たずに韓国を離れるという現実」を、換言すれば「自分も平凡な人間であるという事実」を直視することは、アカデミズムにおける初めての挫折感を味わうに充分なものがありました。

そして、忘れもしない2010年6月17日、列車が小田原駅を通過、酒匂川を渡り、関東平野へと入ったところで私は、悔し泣きをしました。

11歳の時、『映像の世紀』で戦乱と貧困を知り、

15歳の時、日本のすぐ隣に祖国を貧困のどん底から救った独裁者がいたことを知り、

18歳の時、「この独裁者の研究をすることが、世界に今尚残る貧困の削減につながれば」という思いから大学の門を叩き、

26歳の今まで学問の世界に身を置き続けてきた自分は、一体何を成し得たのかと。



生涯をかけて取り組むべき課題を設定するということは、ある意味ではリスキーな生き方でもあります。

自分が当該課題から切り離された時、或いは切り離されようとする時、とてつもない恐怖感に晒されるのですから。

21歳の時、「自分が研究の道を歩いているのは、何かによって導かれているからなのかもしれない」という思いからプロテスタントの洗礼を受けていなかったら、3年前の初夏、自分は悔しさでは済まされない感情を抱えていたと思います。



幸い、私はその9ヵ月後に現在の所属先へ入ることで、研究者としての立場に復帰することができました。それも、「標準在籍期間にわたって奨学金を支給」という、以前と同じ条件で。

そして来月、私はフルペーパーとレジュメを携え、学会発表に臨むべく、かつて自分が悔し泣きをした路線で西へ向かうことになります。

発表を終え、首都圏へと戻る新幹線の中で自分の抱えるものが、かつてのような悔しさではなく、有意義な議論と建設的な批判から来る充足感であるようにしなければ、と自身に言い聞かせているところです…。



さて、来月発表する研究内容は、3年前の初夏、自分が悔しさを抱きつつ「こんな研究をし、論文にまとめたかった…」と思っていたものと基本的に一致しています。

換言すればこの3年間の経験は、「書きたくても力量が及ばないと感じるものがあるなら、その及ばない部分を時間をかけて、しかし着実に埋めていけばいい」という、当たり前ではあるけれども大切なことを学ばせてくれた、とまとめられるかもしれません。

これ、きっと学術論文だけじゃなくて、小説にも言えることなんでしょうね…。
2013.05.03 / Top↑