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豆塚エリ『生まれ変わってしまう前に』(Blog: http://mamec7a.blog.fc2.com/

弱冠二十歳の著者が、自身の過去の作品を読み返し、それらを再構成する形で編み上げたという詩集です。

美しいカバーデザインに、一冊一冊手作業による製本、しかも、カバーにはアクセントとして、星の形をした立体シールが貼られています。実に可愛らしい作りです。

著者は「あとがき」で、過去の自分が他人のように思えることがあるとした上で、いとしい過去の自分を形に残すものとして、この詩集をまとめられたという旨を記しておられます。

その、二十歳の著者がまとめ、再構成された詩の中で、私にとって一番印象的だったのが冊子の中ほどに収録された「写真」という題名の一編。

人が「さみしさ」の中で生きていかなければならないという現実を、まさに「さみしげ」な言葉で短く、しかし明快に照射しています。

現代の日本において人が、「自分らしく生きる」という一般に美徳とされる道を歩き出し、そしてそれが自我と他人との相違から来る寂しさとの絶え間ない葛藤の連続であると実感するのが、だいたい十代後半から二十歳頃(勿論個人差は相当にありますが…)。

私自身の経験や私が持つイメージに照らし合わせ、二十歳前後の心の動きを無理のない、スッと心の中に入ってくる表現で示してくれた一編でした。



TAKA ‘Never Want’(Blog: http://truememory.cocolog-nifty.com/)

上でも記したように、現代の日本人は、およそ10代後半から二十歳前後の時期に、「みんな同じで横並び」という人間関係から離れ、原子化された存在として大衆社会に放り込まれていきます。

が、全ての人がその状況にすんなりと順応できる訳ではない。

最終的には社会の中で生き抜く知恵を身につけるにしても、10代半ばまでのお仕着せの価値基準である「みんな」の不在・喪失に右往左往する人は決して少なくない。

大学2年の主人公・ユイカの視点を中心に展開されるこの長編小説は、そうした、右往左往する若者を描いた作品です。

○○が私を分かってくれない
○○と一緒にいると落ち着く
○○は私を何だと思っているの?...etc

この著者の小説を読むのはこれが3回目ですが、著者氏は高校生や大学生が抱きがちな「甘え」と、その甘えが人間的成長によって退いていく過程を描くのが上手いですね。



牟礼鯨『オルカ』Blog: http://suikageiju.exblog.jp/

全人類のうち、「オルカ」なる少女を唯一の例外として、女性が死滅してしまった世界の物語。

女が死滅した以上、残された男は同性同士で交わりつつ、女の後を追うしかない…唯一、「オルカ」と交わるという選択肢を除いては…。

上記2作品に続いて読んだせいか、本書のエピローグは、「寂しさすらも感じることのない、究極の孤独」と感じられました。



今回のポエイチでは、他にも興味深い作品に数多く出会いましたが、今後しばらく、感想を記す時間がとれそうにない状況なので、ここで一区切りつけたいと思います。第3回ポエイチが開かれることを願いつつ…。
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2013.06.25 / Top↑
ヤリタミサコ『ビートとアートとエトセトラ―ギンズバーグ、北園克衛、カミングズの詩を感覚する』水声社、2006年

第2回ポエイチにゲストとしていらしていたヤリタミサコ先生の著作です。

タイトルの通り、アメリカで発表されたものを中心とする著名な詩人の作品について、その社会的背景や歴史的位置付け、文学的価値を解説しつつ紹介していくというもの。

文学史の専門知識を持たず、「カミングズ」と聞いて「ああ、ブルース・カミングス(Bruce Cumings: 韓国近現代史の研究者)か…」と勘違いしてしまうほど詩の素人である私ですが、そんな私でも容易に理解できる完結かつ明快な文章で詩の解説が綴られており、肩に力を入れることなく、そして楽しく読み通すことができました。

ただ同時に私は、本書のある箇所の記述に、1つの疑問を感じました。

その箇所というのが、50ページから60ページにかけて記された、ギンズバーグとホイットマンに関する3本目の考察。

この箇所で著者はまず、ホイットマンによる、社会のメインストリームに挑戦するかのような詩を紹介しています。続いて、その『反社会的』とも受け止められうる詩は、単に詩人・ホイットマン自身の声として表出されたものではなく、社会の中で抑圧される者たちの声を、ホイットマンが代弁したものであった(少なくとも、ホイットマンはそう宣言していた)と指摘しています。そして、こうした、社会の抑圧される者の声を代弁するという姿勢が、ホイットマンに感化されたギンズバーグにも引き継がれていったとしています。

社会に埋もれがちな声なき声を拾い上げる、という手法は、大衆小説の書き手である私も度々用いるものです。物語ないし文学作品と、「声を拾い上げる(拾い上げようとする)」作業との間には切っても切れない縁があり、またそこから珠玉の作品が数多く生まれてきたことも歴史の事実。

それを承知の上で、私がこの箇所に違和感を覚えたのは、当該箇所を読んでいて、「ホイットマンやギンズバーグによって拾い上げられた『抑圧される者たちの声』とされるものが、実は、現実としての『抑圧される者たちの声』ではなく、拾い上げる者によって『抑圧される者たちの声』と認識されたものなのではないか?」と思ったから。

分かりやすく言うと、ホイットマンやギンズバーグは、実際に抑圧された者が発した声を拾い上げたのではなく、「抑圧された者が発しているであろう声」という固定観念の産物を代弁していたのではないか、ということ。

一切の留保をつけることなく「抑圧される者の声を代弁する」というのであれば、その元の声は、抑圧される者A、抑圧される者Bといった、抑圧を受ける個体が直接的に発したものでなければなりません。

しかし、19世紀のホイットマンはともかく、20世紀のギンズバーグが社会的抑圧を受ける者の声を直接、そして漏らすことなく聞き取り、それを歪むことなく媒介した、とは素人には信じがたい。

フィリピンの小さな港湾都市を研究していた頃、港を拡張するために内陸へ移住していった数百世帯の声を吸い上げるのにすら苦心した経験を持つ私には、抑圧される者の声を代弁するということは、(本書の著者が指摘するような精神的な負荷に加え)物理的困難が伴うという点を看過することができないのです。

むしろギンズバーグは、抑圧される者たちに思いを馳せた上で「抑圧されている人たちはこうした思いを抱いているだろう」という一定の固定観念を形成し、その固定観念を自らの声という形で訴えたのではないでしょうか?

事実としての特定集団の意見と、固定観念として想起される特定集団の意見には、時として開きがあります。従って、この2つの異質な意見をそれぞれ代弁するという作業も、相互に異質なものになりうるのです。

ただ、1つ断っておきたいのは、社会の特定層が持ちうる声を固定観念によって形成すること自体は、(固定観念という言葉自体が一般に持つイメージほどには)悪く、否定されるべきものなどではないということ。

80年も前にウォルター・リップマンがその著書『世論』で指摘しているように、現代社会に生きる私たちは余りにも多くの情報に囲まれていて、それらを固定観念によって集約化する作業なしには生きていけないのです。大切なのは、固定観念にリスクが付随することを認識し、それを程よく扱っていくということ。

その意味で著者が、「生の声の代弁」と「固定観念による声の代弁」の間にある距離感にどの程度の意識を持っているのか、少なからぬ興味を抱きました。

もとより、ギンズバーグがどの程度社会のマイノリティと関わり、その声を個別具体的に聞き取っていったのか、私は詳細に知っている訳ではありません。上述の内容が、その点に対する知識の制約がある中での記述である点をご了承頂きたいと思うと同時に、こちらに何か誤解があるのならば、どなたかにご指摘いただければ幸いです。
2013.06.25 / Top↑
6月22日23日と、神戸大学の六甲キャンパスで開かれていた日本比較政治学会の研究大会に出席してまいりました。

学部の頃より一貫して東アジア政治を専攻している手前、アジア関係の研究者による学会・研究会に出席したことは何度もあるのですが、今回出席したのは、東アジアに限らず、西アジアや中南米など様々な地域の政治現象を研究している人たちによる集まり。この業界で言うところの「アジア屋」である私にとっては初めてとなる、そして刺激的な機会となりました。

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↑神戸大学六甲キャンパスからの眺め。大阪湾・神戸市街地が見渡せ、神戸空港・関空の双方に離発着する飛行機も見られるという絶景です。が、これだけの高台に毎日通うとなると、大変かもしれませんね…。

さて、今回の学会では私も分科会発表をしてきました。

発表題は「非継続的農村政策の社会ネットワークに対する影響:韓国を事例として」。

発表内容を簡潔に記すと、「1980年代以降、韓国の農村部では都市部を上回る所得格差の拡大が進行した。この格差拡大の過程とは、全斗煥政権下での農村政策への市場原理導入を受け、比較的若い大規模農家がこれに対応する互助ネットワークを結ぶ一方、高齢の零細農家がその互助関係から消極的に排除される過程であった」というもの。

発表時間帯は、土・日と開かれた学会のうち、日曜日の午後。‘そろそろお開き’ムードが漂う中でのセッションであり、出席者はやや少なめでしたが、私の発表にはコメンテータの方のほか、ギャラリーからも質問が寄せられ、発表者としては充実した時間を過ごすことが出来ました。

こうしたプレゼンを行うたびに感じるのが、「話を絞り込む」ことの大変さ。

細かな勝手は主催者や状況によって変化しますが、学会での発表者は、およそ20分から40分の時間枠の中で

①何を明らかにしたいのかというresearch questionの設定
②関連する分野の先行研究に対するレビュー
③独立・従属・媒介の変数設定を中心とする分析枠組みの設定(+仮説の提示)
④具体的事例のディスクリプションによる論証過程
⑤結論、含意、および課題の導出

という作業をこなさなければなりません(ただしこれは、私がベースとしているアメリカ型の分析研究についての話。日本の政治学は大陸ヨーロッパ型の記述研究が主流で、2つの研究スタイルの間には若干の差異があります)。

ここでは、前回の記事で取り上げたショート・ショートと同じく、フリルは最大限削り落とさなければなりません。

もし「あれもやりたい、これもやりたい」といった具合に発表者の姿勢がブレると、ギャラリーから見て言及内容が右往左往、意味不明な情報の羅列となり、‘So what?(で、何が言いたい?)’という疑問を招いてしまうのです。

この陥穽を回避した研究発表のために、私は今回、およそ半年の準備期間を要しました。更にこの後、今回の発表内容に対する質問や意見を反映させる形でジャーナル論文を1本、1ヶ月弱かけて書くことになります。

私の場合、口頭発表に耐えられる研究成果をまとめ、さらにそれを学術論文という形に仕上げるのに要する標準期間は7,8ヶ月といったところ。なので、今回の研究は、これまでの自分の研究と比べても平均的な時間をかけている、といっていいでしょう。

40分以内の口頭発表、2万字弱の論文をまとめるのに半年強。

対して、私・高森が15万から20万字の長編小説を書くのに要する時間は1年未満。

「短く、明快な話になればなるほど、書くのは難しい」というのは、小説に限らず、こんなところにも当てはまります。

そう考えると、生涯でショート・ショートを1000本以上書いた星新一は非凡な作家だった、ということが改めて感じられますね。

さて、10日ほど前の名古屋訪問に続き、今回の神戸訪問に際しても、今月初旬の福岡ポエイチで購入した作品を旅のお供に連れて行きました。次回の記事では、その読後感を記したいと思います。
2013.06.24 / Top↑
先日の福岡ポエイチで購入した他サークルさんの作品の感想です。

夏野雨『水玉通信 vol. 1&2』(Website: http://natuno.amearare.com/

昨年・今年と、福岡ポエイチのコーディネーターをされた夏野さんの詩や俳句、ショートショートが収められた小冊子です。

去る4月の文学フリマで同小冊子のvol. 4を購入したのですが、言葉の操り方に魅力的なものがあったので、今回はvol. 1と2を購入しました(ちなみに、vol. 4の感想はコチラ)。

文庫本ほどの大きさで30-40ページほどという作りの『水玉通信』は、著者曰く「詩の香りあふれる小ばなしも載っているようなちいさな雑誌のような壁新聞のような通信のようなもの」。

各巻に収められているショートショートが、子供に読んで聞かせてあげたくなる童話に仕上がっていて、心が温まりました。

ビルの屋上でお酒を飲むおばあさんとつばめのふれあいを描いた『つばめと梅の実』。
虫歯になった猫が湯治へとやってくる『三日月猫の長い夜』。

いずれの作品も、ショートショートと呼びうる分量の中で物語を成立させており、それ故に長編小説に付随する様々なフリル(物語の背景や各種の固有名詞など)は徹底的に削ぎ落とされています。

フリルの削ぎ落とされた、無駄のない作り。そうした作品が心温まる読後感を与えてくれるところに、著者が物語の核としたい部分をしっかりと見定めていること、核以外の部分を削いでいくスキルを持ち合わせていることを感じました。著者の優しいメッセージ性と高い技量が両立した作品といえます。


とうどうせいら『エール』

イベント2日目に購入した詩集です。

1日目の飲み会で著者の方とお話しした際、私がクリスチャンであることを話していたためか、購入に際して「キリスト教に批判的な表現が含まれていますけど、大丈夫ですか?」と訊かれました。

幼馴染である友人と共有した日々、そしてその友人との別れを描くという体裁で綴られる本書の詩は、少女ふたりっきりで構成される、繊細で透き通った、そしてこの上なく壊れやすい世界を構成しています。

薄氷のような、或いはガラス細工のような、『繊細』という表現では充分に表現しきれないほどに脆く、不安定な世界。

その世界は過剰なまでに繊細で、傷つきやすい一方、普遍的な、一般化されたものとしての『優しさ(=キリスト教でいうところの「愛」)』を含むものでは、多分ない。

異邦人の介在を許さない、異質なものを排除する彼女らの世界は、キリスト教的な隣人愛とはかけ離れた存在。

本書の詩には、もっと直接的にキリスト教の礼典を、そして神を否定する文言が登場しますが、私はそれ以上に、上述した少女たちの「閉じた世界」に、すぐれて反キリスト教(というか反宗教)的なものを感じました。

閉じた世界に身を置く少女たちが「私たちには、キリスト教がいう隣人愛のようなものは、まるで説得力を持たない」と(きわめて真剣に)訴えているようにも感じられ…。

ただ、このように感じるのは、読んでいる私が「伝道で語られる『愛』は、人によってはまるで説得力のない、空虚なものにしか聞こえない」と思っているからなのかもしれません。

立場上、現実の女子高生が上述の世界観を抱く場面に往々にして出くわすのですが、この、現実の生活で出くわす少女たちの世界と、本書の詩に綴られる少女たちの世界が重なるためか、読んでいて既視感を覚える場面がいくつかありました。

著者が短い言葉を巧みに紡ぎあげ、思春期の少女たちのイノセントな世界を疑似的に再現していく過程に、文学作品としての魅力を感じました。
2013.06.19 / Top↑
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新幹線に対する評価は今なお一致していない。「そのうちに、新幹線の用地が高速道路に転用される時代が来る」という交通専門家もいる。そのような時代が来るか来ないかは、将来の実績が明らかにしてくれるだろう。
我々は今後長く利用されるものと信じて新幹線をつくったのである。十九世紀末に先人がこしらえた東海道線は、何十年後の今日、幾多の改良を経て、ますます大きな役割を果たしている。それと同じように、二十世紀後半の新幹線も、我々の思いも及ばないような革新を重ねながら、二十一世紀の将来においても国の大動脈として長い生命を持つことを期待したい。


(出典:角本良平『東海道新幹線』中公新書、1964年)



先週末、名古屋にあるリニア・鉄道館に行ってきました。

2年ほど前に開館した、JR東海の運営する博物館です。

鉄道ファンゆえ、私がこの種の博物館を訪れたのは当然今回が初めてではなく、これまでにもさいたまの鉄道博物館や横浜の市電保存館などに行ったことがあります。それら類似の博物館と比べると、このリニア・鉄道館は、運営元が東海道新幹線を管轄するJR東海であるだけに、高速鉄道(ないし鉄道の高速化)に力点を置いた展示内容となっているのが特徴。

その展示を見ているうちに、冒頭の引用句を思い出しました。

10年ほど前に神保町の古本屋で見つけた、角本良平氏の『東海道新幹線』という本に記されている言葉です。

東海道新幹線開業の半年前に刊行されたこの本には、鉄道が斜陽産業と見なされていた1960年代前半、莫大な予算を要する新幹線の建設が世論を二分するものであったことが克明に記されています。

新幹線を「世界の三バカに並ぶ」と批判する人がいた一方で、ある主婦が「このお金で新幹線建設を1センチでも進めてほしい」と一万円を国鉄に寄付したという話も…。

当時の国鉄は、東海道線の輸送容量が逼迫していること、その隘路を打開するためには東海道線の線増が最も合理的な方法であると判断し、新幹線建設を推進します。

結果として、東海道新幹線は事業として成功したのみならず、日本の大動脈として大いなる役割を果たすこととなりました。

「冷静・合理的な思考に基づく判断は、時に社会的通念を覆す」

東海道新幹線開業に前後する過程は、私たちにそんな教訓を示してくれました。

しかしこの教訓、裏を返せば、

「社会的通念を覆すには、冷静・合理的な思考を伴うことが大切」

という見方もできます。

研究という、「社会的通念に挑む」ことを本業にしている身にとって、リニア・鉄道館の展示内容から見えてくる先人の歩みは、大型事業に取り組む情熱と、その事業の必要性をめぐる冷静な判断が両立しているという点で、範とするべきものがありました。

さて、今回の名古屋訪問に際しては、旅の御供として福岡ポエイチで購入した他サークルさんの作品をいくつか持っていきました。道中で読んだそれら作品の感想は、次回の記事で述べていきたいと思います。
2013.06.17 / Top↑
福岡市で一昨日・昨日と2日間に渡って開催された即売会「第2回福岡ポエイチ」は、昨年の第1回を上回る来訪者を数え、無事に終了しました。私・高森のブースは、無料頒布作品は1日目に早々と品切れ、有償頒布についても、昨年同様、好調な売行きとなりました。

2日目に無料作品を希望された方には当該作品をお渡しできなかったことをお詫びするとともに、昨年に続き、本イベントを主催された事務局の方々、および本ブースにお立ち寄り頂いた方々に、改めて御礼申し上げます。

今回のイベントで印象的だったのは、私の有償作品をご購入下さった方のおよそ半数が、昨年の第1回に続く『リピーター』の方であったこと。昨年に続き、今回も拙著に関心を持って下さったこと、重ねて御礼申し上げます。

数十万人の動員を見せるコミケは勿論のこと、大阪開催時でさえ300、東京開催時には600以上のブースが設置される文学フリマと異なり、ブース数が30弱という小ぢんまりとしたイベントであるポエイチは、(少なくとも現時点では)出展者同士、および出展者と一般来場者の距離が非常に近くなるイベントでもあります。

この「近さ」は昨年も今回も変わらず。イベント終了後の飲み会(私は1日目だけ参加しました)もあり、大変に楽しい時間を過ごさせて頂きました。

今回のイベントで非常によく訊かれたのが、「何故、アジアの近現代史を題材にするという、珍しい類いの小説を書いているのか?」という、極めて根本的な問い。

文学フリマでこの種の質問を受けたことはほとんどなく…。小ぢんまりとした、時間に余裕のある空間でないとなかなか訊けないことなのかもしれません。

元来、私が頒布する「アジアの近現代史における事象を題材とした長編小説」は、ポエイチは勿論、文学フリマでもジャンル分けに困難をきたすほど、極めてマイナーな分野です。というよりも、研究をやっている人間が本業とコラボレートさせる形で小説を書く、というのは、医学の分野を除くと例に乏しい…

しかし、研究をやっていると、学術論文として形にはできないけれども、私たちの人生にとって重要な意味を持つ含意に出くわすことは少なからずあります。

研究だけをやっていると、それら「論文として形にできないもの」は不要な部位として扱われ、ゴミ箱にポイと捨てられてしまいます。

が、その「研究上不要な部位」には、時として政治学者が一生涯かけても論じることのできない、人間にとって奥深い要素が含まれているということが、往々にして(というかかなり頻繁に)あります。

私は、それらの要素を廃棄することなく、小説という形でまとめる道を選びました。他の形ではなく、小説という媒体を採用したのは、十代前半の頃から私が小説を書いていて、その心得が多少なりともあったから。そして、何よりも小説を書くという作業が好きだからです。

…と、こうした話をじっくりとする機会となった点でも、今回のポエイチは大変に充実したイベントとなりました。

ちなみに、私が上述のようなファンダメンタルな問いを受けたということは、逆にこのイベントが、私が他のサークルさんの創作に対するアプローチを伺う機会にもなったということ。

他のサークルさんの創作に対するアプローチと、その結果たる作品の紹介・感想については、後日改めて記事にしたいと思います。
2013.06.10 / Top↑