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10月22日から24日にかけて、JR四国の「四国フリーパス」を使い、四国4県を回ってきました。

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昨年10月、台風のために飛行機が欠航、訪問をキャンセルせざるを得なかった愛媛・松山にも行ってきました。

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また、愛媛(伊予)と高知(土佐)を結ぶ予土線で走っている、0系新幹線を模した列車「鉄道ホビートレイン」にも乗ってきました。

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この「鉄道ホビートレイン」、外見を0系に似せてあるだけでなく、車内の座席のうち4席分が本物の0系の座席、それも、初期車両で採用されていたグレーとブルーの転換クロスシートになっているのがポイント。

私にとっては、子供の頃に幾度となく利用した、大変に思い入れのある座席です。私がこの転換クロスシートに座り、旅をしたのは18年半前、東海道新幹線の「こだま」に乗って以来のこと。勿論、便利さでは現在の新幹線で主流のフリーストップ・リクライニングシートには敵わないのですが、合理性を追求したこのシンプルなデザインは、後輩車両たちの座席と比べても遜色のないものだと思っています。

5年前、友人と一緒にさいたまの鉄道博物館を訪れた際、館内の展示品として設置されている同型の座席に腰を下ろしながら「またこのクロスシートに座りながら車窓を眺められたら」などと考えていたのですが…

まさか、5年越しにそれが実現するとは思ってもいませんでした。それも、四国のローカル線で、四万十川の清流を堪能しながら。

さて、予土線の列車は、高知県側の窪川から愛媛県側の宇和島まで、乗り通すと2時間以上になります。この2時間余りの間、私はずっと0系の座席に座っていたのですが、疲れがくることもなく、また腰が痛くなることもなく…快適なまま、終点まで乗り通すことができました。

1964年4月、東海道新幹線開業半年前に中央公論社から中公新書の第41号として刊行された『東海道新幹線』(角本良平・著)には、この新幹線の座席についてこのような記述があります。


「椅子の形態にはとくに苦心した。日本には満足な椅子がすくないといわれる。もっとも快適な、疲労のすくない形を見出すために、椅子に腰かけたときの身体全体をレントゲン写真にとり、人間工学的な研究をおこなった。それによって背骨の支持点の最適な位置を求め、座ぶとんと背ずりの角度や背ずりの曲線を決定した」(176ページ)


まさに、長時間乗っても疲れないよう緻密な設計がなされた座席だった訳で、2時間以上乗り続けた私が疲れを覚えなかったのも当然のことといえるでしょう。

当時の国鉄幹部によって著されたこの『東海道新幹線』には、座席の他にも、日本国有鉄道が総力をあげて取り組んだ大事業の特徴が数多く記されています。

それら特徴を一つ一つ丁寧に解説した後、著者はこの本の本文を以下のような言葉で締めくくっています。


「新幹線に対する評価は今なお一致していない。「そのうちに、新幹線の用地が高速道路に転用される時代が来る」という交通専門家もいる。そのような時代が来るか来ないかは、将来の実績が明らかにしてくれるだろう。
我々は今後長く利用されるものと信じて新幹線をつくったのである。十九世紀末に先人がこしらえた東海道線は、何十年後の今日、幾多の改良を経て、ますます大きな役割を果たしている。それと同じように、二十世紀後半の新幹線も、我々の思いも及ばないような革新を重ねながら、二十一世紀の将来においても国の大動脈として長い生命を持つことを期待したい」(191ページ)


座席一つとっても手抜かりなく設計がなされた東海道新幹線は、その後、著者が期待した通りに革新を重ね、21世紀の今日においても、日本の大動脈として私たちの生活に欠かせないものであり続けています。

去る10月1日、東海道新幹線は開業50周年を迎えました。

先人たちが努力を重ねて建設した高速鉄道は、その後半世紀の間も後進たちの努力と創意工夫、そして情熱が惜しむことなく投下され続け、開業翌年の時点で3時間だった東京・新大阪間の所要時間が、来年春には2時間20分台前半にまで短縮される見通しだと聞いています。

一鉄道ファンとして、また一新幹線利用者として、東海道新幹線の開業50周年を改めて祝うとともに、過去から現在までこの高速鉄道を支えてきたエンジニアたちに、心からの敬意を表したいと思います。
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2014.10.25 / Top↑
昨日、4月19日に金沢で文学フリマが開催される旨が、事務局から公式に発表されました。しばらく前に、開催のための準備を密かに進めているという話を漏れ聞いていたのですが、正式に開催が決まって何よりです。

私・高森も出店する予定です。

開催1か月前に開業する予定である北陸新幹線・長野以西の初乗車も兼ねての金沢入りということになるでしょう。

こうなってくると、3月に開催される'Text-Revolution'も考慮しつつ、新作完成を前倒ししたいという思いが湧いてきます。

今年2月のカンボジア取材を経て、3月に書き始めた新作は、現在、全体の半分にあたる22万字強が書けている段階。都合がつくなら、5月の文学フリマよりも前に頒布できるようにしたいところです。

そんな折の今日、有難くも創作意欲を掻き立てられる場面をいただきました。

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上野公園にある上野の森美術館で、9月13日から11月9日まで開催されている「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」。

ボストン美術館に所蔵されている北斎の作品を「里帰り」させての企画展示です。

ある方からこの展覧会の招待券を頂いたので、会場まで足を運んでまいりました。

葛飾北斎の作品を直接目にするのは、昨年11月に長野県小布施町にある北斎館を訪れて以来。

北斎は現代人から見ても長生きであった上、精力的に作品を作り上げる画師でもあったので、非常に多くの作品を残していることで知られます。

小布施の北斎館は、北斎が同地に住んだのが晩年であったということもあり、「老いてなお創作意欲が衰えることなく、それどころか‘画狂老人’を称したほどの人物」という北斎像を堪能することができる場所でしたが、今回の展覧会は、晩年の作品はもちろん、彼が若い頃に作成した作品も数多く展示。

西洋の画風を強く意識し、作品中に書き込む文字も仮名文字を横に書き、ラテン・アルファベットのように見せるたものなど、絵の素人である私も楽しめる展覧会でした。

展示されている作品を見ていて強く感じたのは、北斎の「自分らしさ」に対する、良い意味での無頓着ぶり。

文芸の分野でも言えることですが、長く創作活動をしていると、次第に自分が生み出す作品の「傾向」、「癖」、ないし「作風」といったものが見えてきます。

本来であれば、そのように自分の作品がパターン化されていくことを回避するべく、柔軟な思考を持つことが作り手には求められます。

しかし人間とは弱いもので、自分の作品がある種の型にはまっていることに気付いた時、往々にして‘守りの姿勢’に入ってしまいます。

すなわち、型にはまった自分の作品を見て、「これが自分の作風だ」と自身のステレオタイプ化を図ってしまう…いうなれば、自己の正当化を図ってしまうのです。

私自身、小説・学術研究ともにそうした陥穽にはまっている可能性は非常に高い訳ですが、北斎の作品を若い頃のものから晩年のものまで通しで見ていると、そうした自己の作風を固守する姿勢が見えないどころか、まるで車を乗り換えるかのような身軽さで、彼が次々と作風を変化させていく様子が見えてきます。

60年以上絵描きであり続けながら、晩年「あと10年生きられたら…」とこぼしたという逸話もある北斎。

「自分らしい作風」という一点を設け、そこにとどまるということをしなかった、それどころか新たな境地を求め続けた証しともいえる北斎の作品群を目の当たりにした私は、昨年小布施の北斎館でも感じたのと同じ感想、すなわち、彼は肉体的には老いていったが、精神はついぞ老いることがなかったという思いを強く抱きました。

精神的に老い、守りに入ることなく、攻める姿勢で創作活動に臨むこと…この展覧会は、その大切さを再認識する機会となりました。
2014.10.10 / Top↑
私が初めて香港を訪れたのは、24歳の時、2008年6月のことでした。その4カ月前の北京・天津・石家荘訪問に続き、学術上の見聞を広げるため、また拙著『帰るべき国』の現地取材を行うための、単身での訪問でした。

その訪問の最中、折しも事件当日から数えて足がけ20回目となる6月4日(天安門事件の発生日)を迎えたということもあり、私にとって初の香港訪問は、「一党支配国家の中にある複数政党制社会」というものを特に強く意識するものでした。

訪問の中で、立法院の審議も傍聴しました。政府・警察部門の幹部を呼んでの公聴会。この幹部による警察の年次活動報告に対し、事実上の野党である民主派政党の議員がその瑕疵を、そして情報公開性の不十分さを厳しく批判するという光景は、(中国政府の意図した通りかどうかは別として)特別行政区の立法機関が「党と政府の方針を追認するだけのゴム印」とされる中国本土・全人代と一線を画すものだと、傍聴者に強く印象付けるものでした。

私はこれまで、自分の書いた小説のうち、文革を描いた『帰るべき国』と、ベトナム戦争を描いた『疎遠なる同胞』のクライマックス・シーンにおいて、「百万ドルの夜景」として名高い香港のビクトリア・ハーバーを描いています。原稿分量、取材予算、そして執筆期間、ありとあらゆる面で他の作品と比較にならないほどの規模となったこの2作の重要なシーンで香港を描いたことは、私が6年前の6月、この夜景を眺めながら「自由」と「繁栄」について考えていたことと深いつながりがあります。

現在の香港の繁栄と、そこで辛うじて残されている自由が、必ずしも手放しで称賛できるものでないことは事実です。そもそも、香港が中国本土と切り離された交易都市たり得ていること自体、イギリスによる植民地支配のあだ花です。また、同地の民主派が時に懐古するようにして言及するイギリス統治時代も、決して自由に満ちていた訳ではなく、マクレホース総督の時代などは、強圧的な統治が行われていました。イギリスが香港を香港たらしめるアイデンティティの一つとして「自由」を高らかに掲げたのは、160年に及んだ香港統治のうち、わずかに最後の10年足らず、パッテン総督の施政下でのことです。

そうした意味において、民主派が掲げる「香港の自由」ないし「香港の民主主義」といったロジックが、よくよく聞いていると過度に理想化された、現実離れしたものであることはどうにも否定できません。

ただ同時に、このイギリスの置き土産ともいうべき「香港の自由」、「香港の民主性」といったものが、1997年の中国への返還を跨ぎつつ、この繁栄する交易都市の一要素として徐々に芽を出してきたこともまた、明白な事実です。

然るに、今夏、北京の全人代常任委員会が導入を決めた香港特別行政区行政長官の普通選挙制度に対し、香港の民主派が猛反発するのは至極当然であり、理にかなったものです。

これまで香港で行われてきた行政長官選挙は、過度に複雑な選出方式によって選ばれた代議員たちによる間接選挙制でした。この制度の下では、代議員の多くが部門別に細分化された職能団体を通じて選ばれ、親中派の人士が代議員全体の多数派を握りやすい構造となっていました。

かつて軍事政権下の韓国でも運用され、「体育館選挙」と揶揄されていた間接型の御用選挙制度を改正しようという動きに対し、今夏北京の指導層がとった方法は、「直接選挙は行う。しかし、その直接選挙に臨む候補者は、職能団体の代表などから成る指名委員会で支持を得た者に限る」というものでした。いわば、民意によって指導者を選ぶものとしてではなく、「御用選挙の結果を追認するもの」として直接投票を利用するというものです。

この制度は、ムバラク政権時代のエジプトで行われていた大統領選挙の方式に類似しています。ムバラク時代のエジプトでは、2000年代半ばまで、まず国会で大統領選挙を行い、そこで当選した人物に対する信任投票として、国民による直接投票を行うというシステムがとられていました。野党の活動が規制され、野党政治家の多くが無所属候補として選挙活動を行わなければならなかった当時のエジプトでは、国会議員の圧倒的多数が与党議員。従って、現職であるムバラクの当選は投開票の前から決まっていたも同然でした。

私は、本業で韓国の朴正煕やシンガポールのリー・クアンユーといった、いわゆる「開発独裁」政権の経済政策・産業政策を分析していることもあり、自由や民主主義を理想として掲げる立場ではありません。中国当局が、香港に対する露骨な干渉は抑えつつ、(内地との関わりも含めた)体制の安定的維持を図るのに苦心しているであろうことは少なからず推察できますし、理解もできます。

そもそも、仮に中国当局に有利な選挙制度を設定したところで、ウェストミンスター式の官僚組織に熟知した人物でなければ香港の安定的統治が困難であるということは、ドナルド・ツァン前行政長官の時代に中国当局も学んだはずです。

ただ、そうした現実を踏まえてもなお、ムバラク時代のエジプトと同じような選挙制度を以って「行政長官直接選挙の導入」を標榜する当局の姿勢には、無理があります。民主派が街頭デモに踏み切るのも当たり前です。

上述のように、私は香港の自由や民主主義というものを理想視してはいませんし、権威主義体制をイデオロギー的に批判する立場にも与していません。

過度な理想主義に走って街頭に繰り出せば、身柄を拘束されるのも必然でしょう。

しかし、香港当局に中国本土と自分たちを隔てる要素が何なのかという意識が僅かでも残っているとして、私はかつて「東洋の真珠」とも形容されたこの都市の為政者たちが、今回の街頭デモを、血を流すことなく収めるよう期待し、そして要求します。

香港の繁栄と自由、そして民主主義は、植民地支配の、或いは冷戦のあだ花という側面を否定できません。そこに、アメリカ独立戦争に象徴されるような「美談」を見出しにくいのも事実。

しかしながら、香港の魅力というのは、まさにそうした点にあるのではないでしょうか。過去170年ほどの歴史を通じ、様々な要素が計画性なく詰め込まれてきて、それでいながら一定の秩序を形成している都市。混然一体としていながらもどことなく落着き、そして洗練されている都市。まさに、パッテン総督がその回想録を「西と東」と題したように、単純明快に割り切れないところがあるからこそ、香港はかくも多くの人々を惹きつけ、そしてローカルな人々の愛着の対象たりえてきたのではないでしょうか。

少なくとも、私が6年前に初訪問し、心底惚れ込んだ香港というのは、そのような都市です。

私は、来る10月31日から11月3日まで、次に書く小説の取材として台北を訪れます。その途中である11月1日には、現在書いている小説の追加取材として香港へ足を延ばす予定でいます。4週間後のこの香港訪問においても、多様な香港社会の一旦に触れられることを期待しています。ただ、万が一、香港当局が今回の街頭デモを武力で鎮圧し、その過程でデモ隊のメンバーを殺すようなことがあれば、政府が力で秩序を維持する場所で取材をしても得られるものは多くないと判断、香港への渡航を中止することになります。

香港当局および民主派が、共に最後まで理性的でいてくれることを、心から願います。
2014.10.05 / Top↑
先日、来年3月に川崎で開かれる即売会‘Text Revolutions’の出店を申し込みました。

会場である川崎の産業振興会館は、私にとっては学部2年の時、インターカレッジの学術討論会で座長をやった際に一度行ったきりなので、10年ほどご無沙汰している場所です。

今年の3月から書き始めた、カンボジアを舞台の一つとした新作は、現在プロットの半分弱(字数にして21万強)が書けた段階。来年5月の文学フリマまでに書き上がれば…と思いつつ書いているのですが、仮に‘Text Revolutions’に出店が可能となるのであれば、こちらのイベントまでに書き上げられるよう、ドライブをかけてもいいかもしれません。ただ、現在本業の方で学会発表(11月上旬開催)の準備とジャーナル投稿論文(11月末締切)の作成を並行して行っている状態なので、小説の新作完成を前倒しできるかどうかは、これらとの兼ね合い次第ということになります。

新作の完成時期については、もう少し筆が進んだ段階で…寒さが本格化するような季節になったら、改めてアナウンスしたいと思います。

さて、前回までに引き続き、先月半ばに開かれた第二回文学フリマで購入した本の感想を綴っていきます。


キリチヒロ『溺れたあとに光る色』

Blog: http://manasseh.blog34.fc2.com/

文フリの会場で、私の二つお隣にブースを構えておられたサークル’hydra blue’さんの長編小説。なお、R-18のレーティングかかかっています。

海辺の田舎町で育ち、東京の大学に進んだ男子2人。そこに‘メンヘラ’な女の子が関わり、「ドロドロ三角関係、デロデロ不倫劇」(注:著者自身による作品紹介より)が展開されていくという流れになっています。

もともとは人間同士のつながりを題材とした前作があり、それを継承する形で書かれた小説のようなのですが、本作品単体で読んでも楽しめる作りになっています。

全体の流れを漫然と追っているだけだと、確かに上述の通り、入り組んだ三角関係のお話と言えなくもないのですが、各々の登場人物の視点に着目しながら話を読み進めていくと、個々の人物の揺らぎや成長(?)が見えてくるというのがポイント。

特に、冒頭で‘メンヘラ’ぶりを余すところなく見せつけてくれる女の子・律子が、しかし表向きの高慢・高圧的な態度に反し、「他人が自分を分かってくれる、分かろうとしてくれる」という、現代日本に生きる女の子が抱きがちな甘えにどっぷりと浸かっている様子が浮き彫りになっていく過程は、非常に手の込んだ心理描写がなされています。

ちなみに、この「甘え」の構造については、以前、True MemoryのTAKAさんの小説を紹介した際にも言及しましております。詳細はこちらをご覧ください→http://takamorijunichiro.blog.fc2.com/blog-entry-47.html

ただ、「世界」などというには遠く及ばない、非常に狭い「世間」の中で紆余曲折を経つつ、成長の階段をゆっくりと上がっている点は残る男子2人も同様。

著者は大学卒業後、会社勤めをするようになってからこの作品を描かれたとのことですが、そうした背景があるからなのでしょうか、社会の荒波にまだ揉まれておらず、しかし他方でもはや高校生などのような「子供」ではないという、微妙この上ない大学生の平均像を描くことにも成功しています。

私も既に30歳。助手として大学に奉職する立場ゆえ、業務の一環として学生の学習相談や履修相談に対応したこともあります。

学部生の相談に応じていると、海外留学や大学院進学に当たっての助言を求められたり、語学力向上のための方法論を訊かれたり、ということも勿論あるのですが、他方で、本書の登場人物を彷彿とさせるような、迷走しつつも前に向かって歩こうとする青年たちに会うことも少なくなく。そんな青年たちと話をしていると、時として「無理に前を向こうとしなくても大丈夫」と声をかけてやりたくなることもあります。

「私のように、学部卒業後の志望進路を早期に明確にし、そこから逆算して4年間で達成すべき『至上命題』を設定するというのも、一つの学生生活のパターンではある。でも、大学生の全員が志望進路を明確化できる訳ではないし、進路を明確化できることが人間の有能さの証しになる訳でもない。むしろ社会には、猪突猛進的に目標を達成するタイプの人間と、要領よく立ち回りながら要所要所で求められることを着実にこなすタイプの人間、その両方が必要だ」と。

勿論、私も相談を受ける立場にある手前、適度に厳しい返答をしなければならなかったりするのですが…。

本書に登場する男子学生2人は、そうやって私が仕事で出会う青年たちの平均像、それも非常に現実味のある平均像を成していました。

上述のように著者は本書に18歳以上というレーティングを設定していますが、それとは別のところで、本書は20代半ば以降の、大学生から年齢的に一定の距離ができた人がより一層楽しめる作りになっているのではないかと感じました。


第二回文学フリマ大阪では、他にも多くの作品を購入したのですが、本ブログで感想を記すのはここまでにしたいと思います。

次回の私のイベント参加は11月24日の第十九回文学フリマです。こちらのイベントでの頒布作品等については、来月半ばまでに改めてアナウンスしますので、御記憶頂けますと幸いです。
2014.10.04 / Top↑