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20日から22日まで、北海道の稚内へ行っておりました。

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古代ギリシアの神殿を彷彿とさせる防波堤があり、

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野生動物も数多く生息する町・稚内。大変魅力的な場所です。

さて、一般には日本最北の都市と見られがちな稚内ですが、他方でこの町には、サハリンを目の前にした「国境の町」という面もあります。(本記事1枚目の写真を拡大すると、水平線上にサハリン島が写っているのが分かります)

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1983年に起こったソ連機による大韓航空機撃墜事件の慰霊碑。ソ連領空で起こったこの事件の慰霊碑が稚内市にあることにも、道北と極東ロシアの近さが読み取れます。

この近さに加え、日本が一時期、サハリンを実効支配していたという経緯から、稚内とサハリンの間には中断を挟みつつも定期航路が設定されてきました。現在も、ハートランドフェリーによる稚内・コルサコフ間の定期便が毎年春から秋にかけて就航しています。

しかし、この稚内とサハリンを結ぶ航路、乗客数の伸び悩みから万年赤字の状態にあり、現在存廃の危機に立たされているのだそうです。

先月、私は所属学会のメーリングリストを通じ、同航路の来年以降の運行が危ぶまれているという趣旨のメールを受け取りました。メールの作成者は、私もお世話になったことのあるロシアの専門家。

そのメールには、「稚内・サハリン航路の存続が危ういが、稚内を単に日本の辺境と位置付けず、国境を越えた交流のゲートとしていく上で、同航路の存続は欠かせない」という趣旨も綴られ、続けて「ついては、フェリーの運行会社や道北の市民団体などが関わり、稚内・コルサコフ航路を旅程に含んだ東京発の道北・サハリン観光のモニター・ツアーを企画した。モニター・ツアーゆえ旅行代金も安いので、皆様是非ご検討を」(要旨)と、羽田から稚内経由でサハリンを巡るツアーの紹介がなされていました。

今回の稚内訪問で私も、稚内の方々がサハリン航路の存続を願い、道外の人々にもその利用を促そうとする姿を目にしました。日露交流の深化を希望する方々や、稚内地域経済の振興を希望する方々による、どうにかしてこの国際航路を存続させたいとする声も耳にしました。

ただ、それは容易ではないでしょう。上記航路を含め、日本から極東ロシアを旅行しようとすると、非常に高額な代金がかかるからです。時期によっては、東京・羽田から稚内経由でコルサコフ入りする費用と、東京・成田からアエロフロートでモスクワ入りする費用がほぼ同額ということも珍しくありません。後者の方が何倍もの移動距離であるにもかかわらず、です。

上記メールにあるモニター・ツアーの旅行代金も、モニター価格とは到底思えないほど高額でした。諸事情ゆえ、具体的な金額をここで書くことは差し控えますが、比較例としては、去る年末年始、私がパリで正月休みをとった際の旅行代金とほぼ同額でした。

現在の需要がないから航空券が値下がりしない、先方の宿泊施設が需要過多で強気の価格設定をしている、日本のエージェントに廉価で旅行を提供する気がない、そもそもロシアでオープンな市場メカニズムが作用しているとは言い難い…etc

色々と事情はあるでしょう。この辺は政治的事情も作用するところですし、また日本側だけではどうしようもなく、相手側のアクションを必要とするところでもあります。

しかし何れにせよ、ハイエンド(少数の富裕層)への特化を狙うのでない限り、国境の垣根を安価に越えるルートを確保することは、ボーダーレスな人および物資の移動と、それによる国境地域の経済振興にとって不可欠です。

そうした意味で今回の、15年4ヶ月ぶりとなる稚内訪問は、国境というものが持つ障壁性を改めて感じる機会となりました。
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2015.05.22 / Top↑

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5月10・11日と、次回作の取材で沖縄へ行っておりました。

上の写真は、1945年6月の沖縄戦末期に「沖縄県民かく戦えり」の電報が打たれたことで知られる旧海軍司令部壕の跡地から見える景色です。

現在執筆中の新しい小説は、台湾と沖縄が舞台です。

この作品のために必要な情報や土地勘(?)の類いは、既に一昨年・昨年の年末年始を沖縄で過ごし、かつ昨年の冬と秋に台北・基隆を訪問した際に得ていたのですが、いざ作品を書き始めてみると、「重要な場面を執筆する前に、もうちょっと那覇市内を見ておきたい」という思いが出てきて…そんな折、バニラエアの成田・那覇便をセール運賃で購入する機会に恵まれたので、沖縄へ行ってきた次第です。

台風が近づく中の訪問ということで、天気の面でやや心配していたところがあるのですが、幸い、フライトがキャンセルされることもなく、那覇港や豊見城の海軍壕公園一帯を回った上で、東京へ戻ってくることができました。

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さて、こちら写真は夜の那覇港を写したもの。那覇港からは、7、8年ほど前まで、有村産業の「飛龍」という、台北郊外の港町・基隆へ向かうフェリーが出ていました。残念ながら、燃料価格高騰などに苦しみ、航路廃止・会社清算となってしまいましたが…。

ただ、直線距離にして600kmと、東京・岡山とほぼ等距離になる那覇・台北間には、このフェリー廃止以前からチャイナエアラインの定期便がデイリーで就航し、また現在はピーチの定期便も飛んでいます。

近距離にあり、そして人の往来が活発な台湾と沖縄。その関係が、19世紀末から20世紀半ばまでの約50年間、今以上に活発なものだったとしても、それは驚くには当たらないでしょう。当時、この両地域は、同一国家の支配下に置かれていたのですから。


来年初頭までに描き上げる予定の新作は、そうした台湾・沖縄関係の歴史的側面を照射したものとなります。

ご期待頂けますと、幸いです。
2015.05.12 / Top↑
先日、明治大学のレポジトリに、私が本業で書いている論文が1本アップロードされました。

http://hdl.handle.net/10291/17175

昨年春、大学が発行した教員用ジャーナルに載った論文で、1980年代の韓国で、農業生産の効率性向上と市場原理の導入が政策的に進められた結果、農家間の所得格差が拡大したという点を、農民間の互助関係という視点から論証したものです。

純然たる学術論文ではありますが、専門外の人にも分かるように書いたつもりですので、興味がおありの際はお読みいただけますと幸いです。(勿論、無料で全文をお読みいただけます)

さて、先日の第二十回文学フリマ東京で購入した本のうち、特に印象に残ったものが1冊ありました。以下にその感想を記したいと思います。


まちあかり『まちあかり―庭灯―』(Twitter: https://twitter.com/machiakari_dayo

有志の女性数名による文芸サークル「まちあかり」の詩と短編小説のアンソロジーです。これまでにも冬をテーマにした『冬灯』、旅をテーマにした『旅灯』などを文学フリマで頒布しており、私も毎回購入させていただいております。8回目の文フリ参加となる第二十回文学フリマ東京での新刊『庭灯(にわあかり)』は、「庭」を共通のテーマとした作品集。

遠い場所へ思いを馳せ、その遠い場所へ行こうとする―私の実家にも庭と呼ぶべきものはあったのですが、子供の頃から私はそういうことを考える人間だったようで、庭・庭園というものにあまり深い思い入れがないまま育ってしまった面があることは否めず…。
そんな私が、「庭」ないし「庭園」というものに意識を回帰させるようになっていったのは、二十代半ばを過ぎて以降のこと。外国からの来訪者を日本庭園に案内し、また自分自身が国内外の庭園を訪れるようになってからのことです。

限られた空間の中に、造営者の世界観を再現する。しかし単なる世界の「切り取り」や「ミニチュア」に終始するのではなく、造営者が世界の中に見出すエッセンスを抽出し、それをバランスよく再構成することで仕上げていく。当然の話なのかもしれませんが、庭造りの奥深さに気付かされるのに、私は一度、庭の「外の世界」を経験する必要がありました。
本作『庭灯』には、そのようにして外の世界から庭園へと意識を回帰させた著者たちによる作品が数本、収められています。

かつて「少年」だった男性が、時の止まった庭へと足を踏み入れる小張葵氏の「あの頃」。あるいは、子供が冒険する場としての庭について、子供と大人の双方の視点を交えて綴った萌黄桂氏の「私の庭」など。

本書に収録された多くの作品では、子供にとっては単なる空間に過ぎないか、さもなくば冒険の場=自分にとっての「世界」である庭園が、大人になっていく中でその位置付けを改めていく過程が描かれています。勝手に評者の経験と重ね合わせてしまい恐縮だが、やはり本書の著者たちも、大人として庭の外に広がる世界を各々経験し、その上でご自身の意識を庭園へと回帰されたのかもしれません。

大人になってから意識を回帰させると改めて気付かされることも多い庭園という存在。本書は、そんな「庭園」の側面を丁寧に描き、かつコンパクトに(まさに庭を造営する時のように)まとめた良作が収められたアンソロジーに仕上がっています。

編集後記によると、メンバーの多忙ゆえに作品作りが難しい状況が続いているとのことですが、毎回安定して良作を出される文学フリマの常連でもあるだけに、今後とも無理のない範囲で活動を続けていただければと願っています。
2015.05.08 / Top↑
先日、東京流通センターで同人誌即売会「第二十回文学フリマ東京」が開催されました。

お陰様で私・高森のブースは開場後3時間ほどで持ち込み作品4種類が完売となりました。当ブースにお越し下さった皆様に心から御礼申し上げますとともに、せっかく当ブースにお越し下さったにも拘らず、品切れのために作品をお買い上げ頂けない場面もありましたこと、お詫び申し上げます。

特に、今回のイベント、および先月の文学フリマ金沢では、新刊『異邦人の土地』の販売ペースを完全に読み間違えてしまっていたようです。ポル・ポト時代のカンボジアを取り上げるという内容の重さに加え、B5版300ページ以上・字数換算51万以上と分量もあるこの新刊については、ゆっくりとしたペースで売れていくものと考えていたのですが、直近2イベントではこの作品が真っ先に売り切れました(4月の金沢では開場後1時間、昨日の東京では同2時間で完売)。『異邦人の土地』は、来月以降のイベントでも頒布を継続しますので、機会がありましたら御購入頂けますと幸いです。

さて、今回の文学フリマでは、3月のText-Revolutionsで品切れのために『賢人支配の砂漠』をお求め頂けなかったという方が、今回改めて当ブースにお越し下さり、同作品を購入して下さるという場面もありました。

過去の即売会で拙作をご購入下さった方から感想を頂く場面もありました。

大学で政治学を学んでおり、その関心から各国の現代史に関心を持っているという学生さんに拙作を御購入頂く場面もありました。

「友達からこちらのサークルの小説が面白いと聞いて、買いに来ました」という来場者の方もいらっしゃいました。

また、本ブログを事前に御覧下さっていた他サークルの方々から「ミャンマーからの帰国が文フリに間に合ってよかったですね」とお声掛けを頂く場面もありました。

改めて、今回のイベントで私のブースにお越し下さった方々に御礼申し上げるとともに、今後ともエンターテイメント性ある、しかし同時に読み手の心に「何か」を残す小説を書いていきたく存じますので、引き続きご愛顧いただければと思っております。

なお、今回の文学フリマでも他サークルさんの作品を複数購入いたしました。これら作品の感想については、後日、改めて記事にしたいと思います。
2015.05.05 / Top↑
大型連休の前半、ミャンマーの旧首都・ヤンゴン、およびその近郊都市・ダラを訪問してきました。

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ヤンゴンのランドマークといえる仏塔、シュエダゴン・パゴダ。こちらを訪れた5月1日はミャンマーでも祝日で、境内は多くの参拝者の方で賑わっていました。

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同地の「アトラクション」として外国人旅行者にはお馴染み、ミャンマー国鉄ヤンゴン環状線にも乗りました。ちなみに、車両は日本からの譲渡品。『はまかぜ』や『おき』など山陰地方の特急列車として活躍した気動車です。以前から乗りたいと思いつつも、日本国内ではついにこの車両に乗る機会を得られなかった者としては、大変に嬉しい機会となりました。

また今回の旅行では、ローカルの人々と、じっくり話をする機会も豊富にありました。

ヤンゴンからダラへ向かう船上では、「外国人相手に英語の練習をしたい」という少年と会話をする場合がありました。

失礼ながら、私はこの少年との会話中、相手が「チップちょうだい」或いは「タクシーに乗るなら、僕が良い運転手を紹介するよ」などと切り出すか、さもなくばスリをやらかすものと確信しきっていたのですが…私の予想は完全に外れ、少年とは最後に、‘Good bye, boy.’と笑顔でお別れしました。

上の写真のシュエダゴン・パゴダでも同様に、高校の英語教師だという方が、大変流暢なキングス・イングリッシュで境内を案内して下さった後、何らかの見返りを求めることもなく、‘I wish you have a nice trip in my country.’と見送って下さるという出来事がありました。

数年前に民政移管し、テインセイン政権が発足して以降、経済成長の著しいミャンマー。

今回、実際に現地を歩いてみて感じたのは、やはりこの国にはタンシュエ率いる軍政期、さらにはネウィンによるビルマ式社会主義の時代から経済成長のポテンシャルがあったのだろうということ。そして近年の情勢の変化が、その潜在可能性を顕在化させたのだろうということ。

そもそもミャンマーは過去数十年来、計画経済の失敗や軍政、少数民族問題、そして経済制裁と、厳しい逆風に晒されてきましたが、他方で、カンボジアのような大規模な紛争を経験してはいません。それ故、既存の交通インフラなどが(老朽化しつつも)破壊されることなく維持されています。

旧英領ということもあり、後発途上国の中では英語教育もなされている方に属します。

階級構造ゆえ社会改革が行き詰まりがち、ということもない。

勤勉な国民を多く抱える一方、賃金水準も現状では低い。

経済制裁が緩和・解除された後、この国に投資が流入するのは自然な成り行きと言えるでしょう。

軍の政治的優位や少数民族の独立運動、そしてムスリム(ロヒンギャ)への迫害など、不安要素も多く抱える国ではありますが、政府が経済成長への強い意思を持ち続けるのならば、将来的にはマハティール時代のマレーシアのように発展することも不可能ではないかもしれません。

そうだとするならば私は、この将来性ある国に、開発政策を研究する者としてどのような貢献ができるかー東京へ戻る機内では、そのことをずっと考えていました。

その意味で今回のミャンマー訪問は、旅行として楽しめただけでなく、自分の研究に対する大いなる刺激にもなりました。


さて、明日は東京流通センターで即売会・第二十回文学フリマ東京が開催されます。私・高森のブースはD-04。多くの方のお越しをお待ちしております。
2015.05.03 / Top↑