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昨日開業した北海道新幹線に乗りました。

私が初めて青函トンネルを通過したのは、今からちょうど20年前である1996年、中学1年生の時でした。

当時の函館駅には青函トンネルについての常設パネル展示があり、そこには「このトンネルは将来、新幹線の運行にも用いられます」という旨が、イラスト付きで説明されていました。

まだ東北新幹線が盛岡止まりだった頃のこと。夢の超特急が北の大地を駆け抜ける「将来」など、あまりにも遠い未来のように感じられたものです。

しかしその後、新幹線は八戸、新青森へと延伸していき、今回、北海道新幹線が新函館北斗まで開業しました。

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青函トンネルに入った直後の車窓。海底トンネルという構造上、大量出水が恒常化している同トンネル内は90%という高湿度状態にあります。そのため同トンネルに入った列車は、このように窓ガラスの外側が曇ることがしばしば。新幹線が北へ延びた…換言すれば、かつてあまりに遠く感じられた「将来」がやってきたことを実感した瞬間でした。

半世紀前、東海道新幹線開業に先立って刊行された『東海道新幹線』(角本良平著、中央公論社、1964年)という本には、次のような一節があります。

「時速200キロの鉄道は、今まさに開通しようとしている。しかしこれは、新時代の鉄道の完成ではなく、その出発点である。我々は今後、より多くの改良がこの鉄道に加えられることを期待したい」(はしがきより)

北海道新幹線をめぐっては、その需要に対して悲観的な意見も少なくありません。確かに、需要を自ら作り出すという意味では、これほどまでに鉄道関係者の営業スキルが問われる新幹線は他になかったと言えるでしょう。

しかし、より高い営業スキルを身につけ、新たな路線の需要を喚起していくこともまた、鉄道に加えられる重要な「改良」です。この新たな鉄路に、技術・営業の両面で多くの改良が加えられるよう願っています。

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函館から東京へ戻った後、そのまま所属先である明治大学へ向かい、自身の博士号授与式に出てきました。

今春、私は博士(政治学)の学位を授かり、4月より同じ明治大学の政治経済学部で講師を務めることになります。

博士号の取得と、正規授業の担当というのは、研究者として一つの区切りにはなりますが、こちらもまた、政治学のプロフェッショナルとして「出発点」に立ったのだという認識の下、自身に一層の改良を加える契機にしたいと思います。
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2016.03.28 / Top↑
北アフリカにモロッコにある都市・カサブランカへ来ています。

私にとっては初めてのアフリカ大陸訪問であると同時に、2013年9月、2015年1月に続く、3回目のアラブ世界訪問でもあります。

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こちらの2枚は、ホテルの屋上から見た光景。民家やアパートに無数のパラボラアンテナが設置されているところからも窺えるように、当地の人たちはたいがいアルジャジーラを見ているようです。

ちなみに、今回の宿泊先は、屋上の一角にビュッフェが設けられているという変わった造りをしているのですが、おかげで異国情緒あふれる光景を眺めながら朝食をとることができます。

多くの観光客を引き寄せ、農産物輸出国でもあるこの国は、アフリカの中は高い経済水準を有しており、各種の指標を見る限り、アジアでいくと「インドネシアとタイの中間レベル」にあたります。

前回2回のアラブ諸国訪問は、いずれもUAE、オマーンという、湾岸の産油国。両国と異なる側面を多々有するこのモロッコを回っていると、アラブ世界の広さを実感させられます。そして、それと同時に、いわゆる「アラブの春」や中東問題、あるいはイスラーム主義など、この世界に関連する様々な事象を見つめ、論じる際、私たちがこの世界の広がりをどこまで念頭に置けているのか、疑問に思うところもあります。

2年前、私はドバイを舞台とした小説『賢人支配の砂漠』を書きましたが、将来、アラブ世界を舞台とした別の物語も書きたいと思っています。その際、この世界の多様性・広がりを理解しつつ筆をとれるようにすべく、当地で得られる知見を最大限吸収した上で日本へ戻りたいと思います。
2016.03.19 / Top↑
東日本大震災から、今日で5年となります。

同震災の後、私もボランティア・グループの一員として陸前高田市を訪れましたが、現地の惨状には言葉を失いました。

改めて、被災された方々にお悔やみ申し上げます。

同震災では、人的被害に加え、東北地方各地の交通機関も大きな打撃を被りました。

仙台・あおば通と石巻を結ぶ仙石線も、駅施設の流失等が発生し、長期間の運休を余儀なくされました。

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昨年5月、その仙石線が、50か月ぶりに全線での運転を再開しました。

失われたものをすべて取り戻すことは著しく困難ですし、復興の歩みは時として遅々たるものになってしまうかもしれません。時には、その歩みの中で誤りが生じるかもしれません。

しかし、私たちは前に進むことができますし、現にこれまでの5年間、上記の仙石線が50か月かけて鉄路を復活させてきたように、着実に前に進んできました。

そして、これからも前に進んでいくことができます。

その前進に対する自分の貢献という課題に考えを廻らせつつ、今日の午後、祈りを捧げたいと思います。
2016.03.11 / Top↑
以前購入したアエロフロート・ロシア航空の東京・ローマ往復航空券を使い、イタリアに来ています。

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成田から、雪の降るモスクワを経てローマへ。

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コロッセオや、フォロ・ロマーノに続き、

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バチカンへ足を伸ばしたのですが、丁度、私がサン=ピエトロ聖堂を訪れた時間帯が、ミサの時間帯と重なっていました。

私はカトリック教徒ではなく、プロテスタント教会に籍を置いています。日本ではバプテスト派、韓国ではメソジスト派と、国・教派を跨いで二重教会籍になっている状態を8年に渡って放置しているほど教派へのこだわりは希薄ですが、一応プロテスタント教徒であることには変わりありません。

そのため、ミサの間は聖堂の出入口近くに設けられた来訪者用区画にいるつもりだったのですが、警備員の方が寛大にも「ビジターとしてではなく、クリスチャンとして祈られるのであれば、参列して頂いて構わない」として下さったので、参列席にて祈らせて頂きました。

参列席にいる間、私がふと思い出したのが、自分がいるその場所で13年前、元教皇ヨハネ・パウロ2世が述べたメッセージ。

アメリカのブッシュ政権によるイラクへの侵攻が間近に迫っていた当時、ヨハネ・パウロ2世は、自らが第二次大戦で生き延びたことを「神から授かった恵沢」と位置付けた上で、「その恵沢に対する責任を果たすという意味でも」侵攻に反対すると言明しました。

恵まれた立場にある者が、その恵沢に対する責任を果たす。いわゆる「ノブレス・オブリージュ」という発想です。

今春政治学の博士号を授与されることになる自分も、今後、これまで学術面で授かってきた計り知れないほどの恩恵に対して、どうか責任を全うできるように…バチカンで頂いた祈りの時間は、そのようなことを願う一時ともなりました。
2016.03.06 / Top↑