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正規授業を担当するようになって2年目の春学期が、期末試験の採点やレポート指導、成績処理も含め、全て終了しました。

少人数制の特殊講義、および大学院生の論文指導のみを担当していた昨年度と異なり、今年は履修者180人強の基幹科目「政治学」を担当しています。大学の授業も、これだけの大規模な講義となると、どうしても一方通行の教科書朗読会に陥りがちです。そうなることを避けるべく、本授業では塾講師をやっていた時の授業スタイルを基本的に踏襲し、かつ小テストやレポートでは提出者全員に採点結果とコメントを付して返却するなど、個別の学生を指導する要素を取り入れました。そのためか、期末試験でかなり厳しい採点基準を用いたにもかかわらず、優秀なスコアに達した学生が少なからずいたのは幸いだったといえるかもしれません。

週明けからは夏休み。学生たちがこの休暇を有意義に使ってくれることを願っています。

さて、今月刊行された、所属学会の一つである北東アジア学会のジャーナル『北東アジア地域研究』の最新号に、私の査読付きの論文が掲載されました。本論文が刊行されたことで、「一年のうちに査読付き論文を複数出す」という自分の中でのガイドラインを4年連続で維持できたことになり、僅かながら安堵しています。


「韓国農民団体による政治運動の性格およびその影響力―GATTウルグアイ・ラウンド国内対策への対応を事例として」『北東アジア地域研究』第23号、pp. 40-53、2017年


内容としては、5月に刊行された英文ジャーナルの掲載論文のうち、韓国の農民団体に分析対象を絞り、より深い考察を行ったもの。「なぜ日本と違い、韓国では農民団体の政治活動が政府の自由貿易協定(FTA)推進政策に歯止めをかけられずにきたのか」について、韓国農民団体へのインタビューや一次資料の読み込みを通じた分析を行っています。

分析の結果導き出された答えは、「韓国の農民団体による政治活動は、左派的な学生運動や労組との協調を伴うイデオロギー色の強いものになっており、農民団体と政府・主要政党との間で集票と利益供与の交換関係が成立していない。また、農民団体が政治的インパクトを強めるべく、労組や学生運動に接近したことは、却って左派的な農民団体と韓国農民の多数派を乖離させ、農民団体の政治的要求に『農民の声』としての正統性を付与することを妨げた」というものです。

なお、現在私はこの研究を政治学の理論的研究に発展させる作業に取り組んでおり、その成果は9月23,24日の両日、法政大学で開かれる日本政治学会の年次大会で発表される予定です。

本雑誌は一部のバックナンバーを除いてオンライン公開されてはいませんが、学会誌ゆえ、大学図書館などには配架されますので、見つけた際はお手にとっていただけると幸いです。
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2017.07.30 / Top↑
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一昨日、自分が担当している授業「教養演習: アジアを見る眼を養う」の一環として、受講生数名を連れて渋谷区にあるトルコ系モスク、東京ジャーミイ•トルコ文化センターへ行ってきました。

戦前、ロシアから日本へやってきたタタール人によって建立され、その後トルコ政府の支援を得て改築、現在に至る東京ジャーミイは、日本国内にあるものとしては神戸•北野にある神戸モスクと並ぶ最大規模のイスラーム礼拝堂です。

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ちなみに、こちらが神戸モスク。昨年10月、学会発表で新神戸へ行った折に訪れました。東京ジャーミイと同様、礼拝時を除くと、先方のご厚意で、非ムスリムも見学させてもらえます。

私が初めて東京ジャーミイへお邪魔したのは15年前、大学1年生の時で、当時受講していた「イスラームの社会」という授業の中で、担当教員から見学を勧められたことがきっかけでした。礼拝堂、すなわち宗教施設であるため、当然といえば当然なのですが、当時の東京ジャーミイは外部者の見学は自由であるものの、非ムスリム向けの対応は特にしておらず、常駐しているトルコ大使館の職員も非日本語話者でした。

しかし、残念なことに2000年代以降、イスラームをめぐる国内外の社会的環境は更なる悪化をたどり、その中で東京ジャーミイは、トルコ文化およびイスラームの理解促進のための活動に力を入れるようになりました。現在、東京ジャーミイは毎週末に非ムスリム向けの無料ガイドツアーを開き、その参加者にはジャイ(トルコ風紅茶)を振る舞うなど、世界的に見ても極めて開放的なモスクとなっています。

今回、自分の授業の受講生がイスラームに馴染みがなく、「アジアを見る眼を養う」と称して授業を開いている身としては、彼ら、彼女らにイスラームへの理解を深めてもらうべきであるという判断から、4年ぶりに同モスクを訪れました。

私自身、20歳の時に実際にプロテスタント教会へと足を運び、クリスチャンとなっていく過程で、宗教という(言葉としては悪いかもしれませんが)「業界」のイロハを知った部分があります。今回のモスク訪問では、まさに「百聞は一見に如かず」の諺通り、イスラームの現場に立つことで知的刺激を受けた様子の学生もいて、引率者としては充実した日となりました。
2017.07.17 / Top↑
本日、札幌テレビ塔にて開催された即売会·第二回文学フリマ札幌に出展いたしました。

大変申し訳ないことに、4月に助教を拝命して以降、即売会参加に際して準備不足が慢性化しております。今回も充分な用意をもってイベントに臨めたとは言い難い状況でしたが、そんな中でもリピーターの方や大学図書館の司書の方など、多くの方と出会う機会となりました。本ブースにお立ち寄りくださった皆様、ありがとうございました。もし出展できた暁には、来年の文学フリマ札幌でもお会いしましょう。

さて、次の私の即売会出展は9月中旬の文学フリマ大阪と、2ヶ月以上の空きがあります。この間私は、短期留学の引率や研究調査で、主に国外にいることになりますが、そのおかげもあり、東京にいる時よりもむしろ自由に使える時間が増えます。したがって、ここ数ヵ月間、慢性化していた即売会の準備不足も解消できる見込みです。

この時間を活用し、今後の即売会での販売方針について、以下3点を検討、準備したいと思います。


1 初めてお立ち寄りくださった方のための作品

私の小説は、「一見すると敷居が高いが、実際に読んでみるとハマる」とご指摘を頂くことが少なからずあります。実際、札幌から福岡まで、出展回数を重ねるごとにリピーターになって下さる方が出てくる傾向にあります。そのことは大変ありがたいのですが、他方で、ビギナーの方が感じる「敷居の高さ」を多少なりとも減じる必要があるとも感じています。

実際、今日のイベントでも、出展3作品を見回しながら「一番読みやすいものはどれですか?」とお尋ねになる方がいらっしゃいました。3作品いずれも販売価格500円、字数20万以上という選択肢の中で、読みやすい作品を識別するのは、たしかに難しいかもしれません。

こうした事情を踏まえ、今後は即売会のブースに並べる作品の中に、初めて拙作を買われる方を主たる対象とした、より間口の広いテーマで、比較的分量が少なく、参考価格(後述)の安いものを常備することを検討します。


2 参考価格制の導入

これまで私の小説の大部分は、売上計算上の煩雑さを避けるため、即売会での販売単価を500円という、いわば丸めた数字としてきました。

しかし、買い手の方、特に初めての買い手の方からしてみれば、「興味のある、しかし数十万字もあって読みきれるか分からない本に500円を投じる」ことは、かなり勇気がいるかもしれません。

そこで、今後の即売会では、これまで「頒布価格」ないし「販売価格」として固定してきた拙作の値段について、「参考価格」ないし「提案価格」、英語で言うsuggested priceに改め、変動の余地を持たせることを検討します。

アメリカやオーストラリアなどのアングロ·サクソン諸国では、美術館などがこうした柔軟な料金設定をすることは珍しくありません。私もこれまで、これらの国々では、日本の学生証しか持っていないにもかかわらずconcession feeで美術館に入れてもらったり、逆に大学教員として奉職するようになってからは「当館の入場料金は参考値としては25ドルですが、いくらまで出されますか?」と、より高い金額を期待されるなどしてきました。こうした経験を踏まえ、非営利の文化活動として小説を売る以上、その作品にどれほどの価値があるのか、読み手に判断を委ねるべきかもしれないと考えています。


3 表紙のデザインについて

私の小説は、本業でのジャーナル掲載論文のフォーマットを流用していることもあり、白地に明朝体で題名と著者名を書いただけという、極めて地味なものです。

ただ、ここ1、2年ほど、リピーターになってくださる方が増える中で、この点が「表紙のデザインが皆同じなので、即売会で作品を買う時に、過去にその作品を買ったのか判別できない」というトラブルにつながっています。

こうした点を踏まえ、今後は表紙の片隅に作品としての通し番号を入れるか、あるいはカバーの色を作品ごとに変える、などの措置をとることを検討します。


いずれも、文学フリマ大阪の出展告知の際には成案として皆様に提示したく存じます。

今後ともお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。
2017.07.09 / Top↑
7月9日に札幌テレビ塔で開かれる即売会·第二回文学フリマ札幌に出展いたします。

私のブース番号は「え-23」、販売作品は以下の3つです。

多くの方のお越しをお待ちしております。

『国家を背負って』(2017年作)…頒布価格:500円
1979年、中越戦争が勃発。中国人民解放軍の侵攻を受けたベトナム共産党および政府は、同国人民軍を動員しこれに対処する一方、国会議員らも動員した対中非難のプロパガンダを展開していく。
そんな折、国会副議長の地位にあった古参党員グエン・フー・アンは、密かに党中央・書記長から呼び出され、「中国側が、第三国たるフランス・パリで我が方との交渉を求めている。有利な条件で停戦に持ち込むためにも、同志にはこの交渉に応じ、中国側との話し合いを進めてほしい」と打診される。これを聞き、一瞬、「外務省や軍の人間でない自分が、何故そのような任務を?」と疑問に思ったアンだったが、やがて書記長から、中国側の交渉担当者の名前を聞き、納得する。その人物は、若き日、パリに住んでいたアンが、ともに働き、ともに学んだ旧友だった…。
国籍の垣根を超え、親しく交わった者同士が、やがて各々の国家を背負う。現代世界において時に私たちが経験する事象を、ハノイとパリの2都市を舞台に物語にまとめた作品です。

『大陸と海洋の交差路』(2016年作)…頒布価格:500円
那覇を訪れた香港の文化人類学者・唐瑞延は、これまで自身の沖縄での研究活動を支えてきてくれた台湾出身の恩人・安麗生の職場を訪ねる。台湾政府の意向を受け、長年台湾と沖縄の交流事業に携わってきた麗生は、定年を迎えたこともあり、所属する政府系機関を退職することになっていた。
長年に渡る学恩に礼を言い、また麗生の日台交流への尽力をねぎらう瑞延。そんな彼に麗生は、「これは回顧録にも書かなかったことなのだけれど…」と、ある秘密を打ち明けた。曰く、台湾人として沖縄との民間交流を深めてきたはずの彼女は、実は沖縄本島で、沖縄県民として生まれたのだという。なぜ、沖縄県民として生まれた人物が、台湾人になったのか。その疑問を抱いた瑞延に、麗生は「台湾疎開のことは、御存知かしら?」と問いかける…。
太平洋戦争末期、1万人を超える沖縄県民が、当時日本領であった台湾へと疎開しました。しかし終戦後、彼らの疎開先は中国国民党の支配下に入り、そして彼らの故郷・沖縄はアメリカ軍の支配下に入ります。疎開先も、そして故郷も「日本」ではなくなった日本人疎開民。やがて彼らは米軍支配下の沖縄へ、すなわち中国からアメリカへ「帰る」ことになります。
戦中から戦後にかけての沖縄を、台湾の視点から描いた作品です。

『疎遠なる同胞』(2011年作)…頒布価格:500円
インドシナに派兵された韓国軍によって両親を殺されたベトナム人少女。身の危険を感じた彼女は、当時の南ベトナム首都・サイゴンへと逃れるも、避難先で食いつないでいくため、韓国人従軍記者に雇われ、この記者の下で生活することとなる。やがて、共産軍が南へ侵攻、サイゴン陥落が目前に迫った段階で彼女は…。
外国人の兵士に肉親を殺され、他方同じ国の記者と暮らすことで生き延びた少女の視点から、戦争最末期のベトナムを描き出します。国籍やエスニシティ、或いは国民性といったフィルターを介して世界を見ることの危うさを感じて頂ければ幸いです。
2017.07.06 / Top↑
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去る3日、アジア太平洋地域の各国から来日中の短期留学生を対象に、英語による特別講義を行いました。テーマは‘North Korea's Nuclear Ambition and Rising China(北朝鮮の核開発と中国の台頭)’。北朝鮮による核開発や、近年中国が顕著に見せている膨張主義的な対外政策について、冷戦時代に遡った歴史的背景の考察を交えながら講じたのですが、学生から質問も多く出るなど、充実したひと時となりました。上の写真は、講義に使ったスライドのコピーと、タイから来た学生からもらった記念品のボールペン。タイでは、教員は「王様に代わって物事を教えてくれる人」として、プレステージの高い職業と看做されていると聞きますが、今回はそのことを実感する機会ともなりました。

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さて、この特別講義に先立つ土日、新作の取材で北京に行っておりました。ここ数年、中国本土へは香港から陸路で広東省に入るなど、華南を訪れることが多く、北京へ来たのは韓国留学中の2010年2月、内モンゴル自治区へ向かう途中に立ち寄って以来7年半ぶり。前回訪問時に比べてインフラの整備は一層進み、人々の暮らしが着実に豊かなものとなる一方、上の写真の澱んだ空からもお分かりのように、大気汚染も深刻であり、天安門広場から1.5kmしか離れていない王府井のビル街がほとんど見えないくらい、スモッグが立ち込めていました。まさに上述のように、過去2,30年で大きくrisingしてきた国の首都だけに、7年ぶりに歩いて見ると、この間、正負両面で大きな変化があったことを肌で感じます。

来年春の完成を目指し、現在執筆中の新作は1980年代末、冷戦最末期の中国とソ連が舞台。中国からソ連へ留学した大学生が主人公というお話です。主人公は「天津で生まれ、北京の大学へ進み、そこからソ連へ派遣された」という設定になっているので、北京市内の大学街を歩き、

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天津市内の海河流域も歩いてきました。

新作の原稿は、現時点で46,000字余りを書いた段階。完成は半年以上先ですが、御記憶頂けますと幸いです。

<おまけ>

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北京での取材の途中、円明園に立ち寄りました。19世紀半ばのアロー戦争の際、英仏軍に破壊された清朝の庭園です。写真の、アロー戦争の際に廃墟になった箇所以外は、中華庭園として綺麗に整備されており、思っていた以上に楽しむことができました。
2017.07.04 / Top↑