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エアアジアの羽田-クアラルンプール-コロンボ間のチケットをプロモ価格で購入できたため、2月22日から26日までスリランカを訪れていました。同国の訪問は今回が初めて。南アジアへの渡航自体、2016年始のインド·コルカタ以来、2年ぶり2回目となります。

セイロンティーというブランド力のある第一次産業を抱えつつも、天然資源に乏しい同国は、アジアの先進国である日本や韓国に多くの学生や研究者、公務員を派遣し、その発展の秘訣を学ぼうとしてきた国。そうした経緯から、私も日韓両国で、スリランカ人の学生と机を並べて勉強してきました。今回の訪問では、そうして知り合った知人とコロンボ市内で再会し、その家族の方々ともお話しする貴重な機会を頂きました。

さて、スリランカは、

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旅情溢れる汽車旅や、

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世界遺産にも登録されているキャンディの仏歯寺など、観光名所の豊富な国であり、政情も安定、国民1人あたりの所得水準も南アジアでは高い水準にある同国ですが、他方この国は、2009年までの実に四半世紀以上、タミル人地域の分離·独立をめぐって内戦を展開していた国でもあります。内戦中はテロ事件も少なくなかった同国。かつての武装組織·タミル=イーラム解放のトラに暗殺された政治家も複数います。

内戦の規模や性格が大きく異なるため、単純には比較できませんが、ラオスやカンボジアで内戦の傷跡に触れ、そしてそれら諸国が内戦の後遺症に苦しめられている光景を目の当たりにしてきた身としては、政府軍が内戦で完勝し、つい10年弱前までの内戦をものともせず、急速な経済成長を遂げている同国の姿に、圧倒されるところもありました。

日本や韓国、或いはマレーシアやシンガポールが実績を以て示してきたように、政府が社会と密接に関わり、発展を指導する国家は、たとえ天然資源に乏しくとも、その潜在的な成長可能性を顕在化させることができます。スリランカもまた、その一群に加わりつつあるのかもしれません。

「5年、10年後に、またスリランカへ来てみるといい。その頃には、この国は様変わりしている筈だから」とは、帰国の際、空港まで私を送ってくれた知人の言葉。本当に、この国は大きく変わっていくかもしれない。そうした予想と期待の入り交じった感情を抱きながら、羽田への帰路につきました。
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2018.02.28 / Top↑
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一昨日、平昌でオリンピックのクロスカントリー男子4×10kmリレーを観戦してきました。最近はすっかり疎遠になっているものの、子供の頃はカヌーと並んでスキーをお気に入りのスポーツとしていた身にとって、雪上競技は馴染みのある存在。1位となったノルウェー選手団には勿論、最後に観客席前へ戻ってきたアメリカ選手団にも、観客の1人として'Welcome back!'と声援を送りました。

さて、今回の平昌オリンピックでは、会場の1つである江陵で、私の所属する明治大学の学生たちが、協定校である延世大学の学生たちと共に、ボランティア·スタッフとして活動しています。私は教務の都合で彼らの引率や指導には関わっていないのですが、会場周辺では延世大学の学生ボランティアと言葉を交わす機会もあり、今やこの世界最大のスポーツ行事が、ボランティア·スタッフの大々的な動員なくしては成立し得ないという現実を実感したりもしました。

再来年に迫っている東京オリンピックでも、多くのボランティア·スタッフが必要とされるものと聞いています。彼らを「タダ働きする人材」と扱うことは厳に慎まなければならず、スタッフになることを引き受ける側も相応の責任意識を持たなければなりません。しかし他方、自発的に働き、ペイされないということは「手慣れたプロである必要はない=努力するアマチュアである」ということ。私はこれまでに、外国語を習いながら「プロの通訳ではないけど、東京オリンピックでは、せっかく身につけた語学力を生かし、案内スタッフをやってみたい」と語る人々に数多く会いましたが、来る東京での国際イベントが、彼女たちの活躍の場ともなることを願っています。

大学教員として、また留学経験者として、国際交流に関わっていると、こうしたスポーツ行事や、或いは短期留学生の受け入れ事業にボランタリーに参加することで、世界に目を向けたり、語学力を磨く動機を得る大学生は決して少なくないように感じます。文部科学省もそうした観点から、民間と共同で日本人学生の海外留学を支援する「トビタテ!留学JAPAN」 などの事業を行っている訳ですが、高校までに比べて行動範囲が格段に広くなる分、語学力を磨き、外に出ていくメリットを実感する機会が豊富になるのでしょう。

日本は韓国と並び、世界的にもエスニシティの同質性が高く、圧倒的な日本語モノリンガル社会であるとされてきました。そうした社会に身を置いていれば、世界に目を向け、或いは語学力を磨こうという動機を得る時期が20歳前後、或いはそれ以後になるのは決して不思議なことではありません。

それを踏まえた上で、より巨視的な観点から考えるならば、この国では、成人になってから世界を視野に捉えた人々への支援を、国際化教育の重要な側面として、これまで以上に積極的に議論する余地があるのではないかとも思います。この国では、「日本人が国際的に活躍し、かつ外国人に、その能力を日本で発揮してもらう」という文脈において捉えるべき国際(化)教育が、小学校での英語教育などの論点に限定して考えられがちのように思えます。無論、低年齢のうちから語学を習うことも、国際教育の重要な側面であることは否定しません。しかし、初等教育段階での語学習得が、国際教育のあくまで一側面にとどまるということも事実です。この点、私たちはもっと国際化というものを幅広くとらえていいのではないか…オリンピック会場からソウルへ戻る列車内では、そのように感じました。
2018.02.20 / Top↑