ジェットスターの成田・ケアンズ便がセールになっていたのを利用し、この週末、2月のメルボルン訪問以来となるオーストラリア旅行に来ています。

前回のメルボルンは、指導教授の知り合いの方が現地に住んでいて、その方のガイドのおかげで大変充実した滞在となりました。そして今回もまた、職場の同僚に以前ケアンズに住んでいた方がいて、その方から事前に有益な情報を頂いていたおかげで充実した旅行となりました。

20151129192948d10.jpeg
20151129193149cf6.jpeg

クランダ高原では登山列車とワラビーへの餌付けを、

2015112919330915e.jpeg

グレートバリアリーフでは熱帯雨林と珊瑚礁が隣り合わせという贅沢な光景を堪能いたしました。

さて、前回のメルボルン、そして今回のケアンズと、オーストラリアを訪問し、当地の人々と話す中で私は、この国の社会が持つ柔軟さ、さらに言えば「若さ」を感じる場面が多々ありました。

この「若さ」、在米・訪米経験のある方には、アメリカの都市部でしばしば感じる心地良い混沌さといえば通じるかもしれません。

どちらも、アングロ・サクソンがヨーロッパ域外に樹立した国であり、またアメリカは1960年代の公民権運動まで、オーストラリアは1970年代までの移民制限政策、いわゆる白豪主義の放棄まで、ともにそうした白人主導の秩序を維持していた点も共通しています。

そして両国は、そうした白人の主導性を緩和していく中で、ともに新たな国家像を模索し続けています。

無論、民族や宗教、言語が入り乱れている国は世界に無数にあり、米豪両国だけが特殊な訳でもありません。アジアにもこうした国はあり、私が比較的よく関わる国の中では、マレーシアやシンガポールが民族・宗教・言語全ての面で複合社会となっています。

しかし、オーストラリアがマレーシアやシンガポールと異なるのは、「自分たちはこのような複合社会を作り上げるべき」という国家像を、政府が選択し、提示し、そしてその方向へ人々を導くのではないということ。

自分たちの国でどのような社会が構築されるべきか。この国では、それ自体が公共の場における議論の対象になっています。それは、政府が「自分たちの国は複合社会だが、その中でも土着の民族であるマレー人の権利がより尊重されるべき」と呼びかけるマレーシアや、公式には多民族国家を掲げつつも、建国の父リー・クアンユーが華人以外が後継首相となることを決して認めなかったシンガポールと大きく異なる点です。

どちらのアプローチが正しいのかは一概には言えませんが、オーストラリアが北方のASEANの多くの加盟国と異なる社会形成の方法をとっていることは、大いに興味深いところがあります。

近年の好況ですっかり物価高な国となってしまい(自販機の缶コーラ1本が約300円、小さなピザとビールのランチが約2000円。ただし、さすが世界に冠たる農業大国だけあって、農産物は乳製品を含めてヨーロッパよりも遥かに安価です)、この点がネックになるのは否めませんが、欧米と違い、東京からであればジェットスターやエアアジアなどLCCで行ける国でもあるので、アジア圏の海外旅行を一定回数重ねた方は、オーストラリアへ足を伸ばしてみるというのもいいかもしれません。
スポンサーサイト
2015.11.29 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://takamorijunichiro.blog.fc2.com/tb.php/176-f63bb2a5