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西新宿の新国立劇場で同劇場バレエ団の公演『ドン・キホーテ』を見てきました。

同劇場でこれまでに観賞したバレエ作品は、『くるみ割り人形』や、『白鳥の湖』のオデットとジークフリートが結ばれるハッピーエンド版など、爽やかな余韻に浸りながら客席を後にできるものが多かったのですが、今回の作品もその御多分に洩れず、ラブ・コメディの王道に相応しい心地良さを持って帰路に就くことができました。(以前、パリのオペラ座で見た『泉』のように、切なく終わる作品を見た後、その切なさを噛みしめながら帰るのも、それはそれで楽しいのですが…)

舞台芸術を鑑賞していて嬉しく思うのは、演じ手の素晴らしい演技に対する敬意を、カーテンコールの際の拍手という形で直接伝えることができる点。私も、アマチュアとはいえ、かつて芝居をした経験を持つ者として、何かを演じるということが「楽しく、充実感を伴うものではあっても、決して『楽』ではない」ことは身にしみて分かっているつもりです。そうであるが故に、素晴らしい演技を見せてくれた演じ手への敬意を客席から直に伝えるというのは、その素晴らしい演技を直に目にするということと並び、劇場に足を運んだ者の特権であるといっても過言ではないと思うのです。

さて今回は、先週開かれた文学フリマ東京での購入作品のうち、以下2作品の感想を書いていきたいと思います。


豆塚エリ『恋ぞつもりて』(こんぺき出版ウェブサイト:http://mmn.soragoto.net/

大分の別府を拠点に活躍されている詩人・豆塚エリさんの俳句集です。同じ作者による詩集はこれまでにも購入したことがあるのですが、今回取り上げるのは俳句集。

実は、豆塚さんが俳句を詠まれたということはこの句集をブースで目にするまで全く知りませんでした。

ブースでこの句集を目にし、「豆塚さん、俳句を詠まれたんですか?」と尋ねたところ、売り子さん曰く「以前、B5版を裁断し、182mm×182mmの正方形の版型で詩集を刊行した際、印刷業者から『余りとなる75mm×182mmの部分で、もう1冊細長い本を作れる』と言われたので、俳句集を出してみようということになった」とのこと。

前半部分は、詠み手が高校生の頃に詠んだ、いかにも女子高生らしい、甘酸っぱくも清々しさの感じられる作品が並んでいるのに対し、後半は、大人の女性となった詠み手が、熱さと痛みが綯い交ぜになった恋愛感情を五七五の枠に詰め込んだ作品が連ねられています。詠み進めていくうちに、ナイーブな「女の子」が恋愛感情を心の中に抱え、それを持て余しながら(そして多分に回り道をしながら)「女性」になっていく過程の一部を同時展開できるという作り。

先述の売り子さんも「恋愛を詠んだ俳句はあまり多くない」と仰っていましたが、確かに私も、恋愛感情を織り込んだ俳句をこれまで目にしたことはほとんどなく、非常に新鮮な印象を覚えました。

ただ、それと同時に私が強い印象を抱いたのは、詠み手が恋愛感情を五七五のラインにきちんと載せているだけでなく、その感情を持て余し、時にその感情に振り回されるという、十代後半から二十代前半にかけて多くの女性が経験する場面を、短い言葉の上に再現している点。扱いの難しい、そして誰も扱い方など教えてくれない感情を抱えてしまい、困惑しつつも、次第に自分なりの当該感情のあしらい方を身につけていく…大人になる上で大抵の人が通る道の、いわば前半部分を紙面に再現する過程で、著者による丁寧な言葉の吟味が行われたであろうことが、素人にもはっきりと伝わる一冊だと思いました。


並木陽『青い幻燈』(著者ツイッター・アカウント:@namicky24

文学フリマの歴史小説クラスターの常連でありながら、実は私にとっては今回が初購入となる並木陽さんの小説です。舞台は19世紀のパリ、カルチェ・ラタン。パリの学生街として知られるこの一角に住む、若き詩人と画家に焦点が当てられています。先の見えない中を生きる2人、彼らの住むアパルトマンに突如としてやってきたお針子志望の少女。先が見えない中にあって、青春ともいうべき「今」を生きるのに全力を注ぐ彼らの姿が、コミカルだが重みのある言葉も発する老人、そして孤独と引き換えに魂の充足を約束する紳士という登場人物の絶妙な設定によって、現実味たっぷりに、というよりも、読み手が書き手の作り出す仮想現実の中に放り込まれてしまったかのような迫力を以って展開されていきます。

先のことを全く考えない訳ではない。しかし、着実にやってくるかどうかも分からない未来のために現在を犠牲にしたくはない。それに、勉学に励み、研鑽を積んだところで、それが自分の食べていく糧になるとも思えない。必然的に、刹那的な生き方をするようになる。これは、時代や国に関係なく、学生と呼ばれる者たちの大半に共通するところなのではないかと思います。

かつては「日本のカルチェ・ラタン」とも呼ばれた界隈に長らく身を置き、今もそこで教鞭をとっている者としては、時代を越えた普遍的ともいえる「若者像」を、しかし第三共和政時代のフランスという時代背景を多分に生かしながら描写した本作品の筆致に、多いに惹き付けられるところがありました。
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2016.05.08 / Top↑
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