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9月4日から16日まで、約2週間ほど出張で韓国に行ってきます。

このうち、4日から6日までは自分自身の研究調査を行い、そして7日から16日までの10日間は、昨年も担当させてもらった明治大学と延世大学の学生交流プログラム(いわゆる「短期留学」と呼ばれるものです)の引率役を務めることになっています。

今年、高麗大学の大学院に留学してから丸10年を迎えた身として、日韓交流の最前線に立つ機会を頂けたことをありがたく思っています。

さて、研究者として、或いは教員として国際交流に関わる中で私は、数多くの学生と出会い、話をする訳ですが、当然、彼らの「外の世界」に対する関心の度合いは一様ではありません。

積極的な学生がいる一方で、外の世界へ出ていくのに躊躇している学生に出会うことも多々あります。というよりも、(多くの方にとっては容易に想像できることでしょうが)大学全体としては、海外渡航に消極的だったり、それを躊躇してしまう学生の方が多数派です。

率直この上ない言い方をすれば、

「魚が好きな猫は多いが、水に入って魚を捕りにいく猫は少ない」

という格言が的を射ていることを実感したりもする訳ですが、他方、一部の学生が「留学したとして、その先で上手くやっていけるか、その先の人生を切り開けていけるか…」という不安を打ち消せずにいることは、分からないでもありません。

私自身、自分自身で人生を切り開いてきた…などとはとても言えない経歴の持ち主です。そもそも、10年前に高麗大学に留学したのも、先方の教員から「うちに来ないか?」と誘われたことによるものです。他にも、明治学院で事務の仕事をするようになったのも友人の紹介によるもの、さらには昨年英文雑誌に研究論文を発表したのも、編集委員会からの薦めによるもの…と、自分の歩みを振り返れば、(精力的であり、アクティブであるという周囲の評価とは大きく異なり)自ら決断を下し、道を切り開こうとするよりも前に、他人に背中を押されてきた場面の方が目立ちます。(ただし、勿論、人生の各場面で私の背中を押してくれた方々への感謝の念は尽きません)

自力で人生を切り開いたなどとは到底言えず、背中を押されながら歩んできた私ですが、それでも上述のような不安を抱いている学生(というか、人生の後輩たち)に言えることがあるとすれば、それは、「一たび背中を押された、進みだした後は、後ずさりすることなく、止まることなく前へ進んできた」という点に尽きるでしょうか。

幼馴染である友人のお父さんで、子供の頃私を可愛がってくれた方がいるのですが、この方は会話の中で「できるでしょう?」「やれるでしょう?」という言葉をしばしば用いていました。それは私が成人してからも変わらず、

学部生の時→「英語と韓国語を両方修得中です」「できるでしょう?」

韓国留学直前→「半年ごとに学業成績の審査があって、成績良好と判定された場合のみ、次学期の奨学金が給付されます」「やれるでしょう?」

といった会話を交わした記憶があります。

このシンプルな、「できるでしょう?」「やれるでしょう?」という表現、言い換えれば「自分の可能性を信じる」ということになるかと思います。「自分に自信を持つ」ではなく、「自信はないかもしれないけど、とりあえず自分の可能性を信じてみる」と。

一たび背中を押された後は躊躇せず前に進む、という自分のこれまでの歩みも、そうして自分の可能性を信じてみる場面の連続だったと言えるかもしれません。

「自分に自信を持て」と他人から言われて初めて自信を持つような人間などまずいないでしょうし、私自身、自分に自信を持って主体的に道を切り開いてきたとはとても言えない人間です。

ただ、大学の世界に身を置く中、要所要所で他人に背中を押され、それを追い風として進んできた者としては、折に触れて「ここは一つ、可能性を信じてやってごらん。君ならできるでしょう?」と、人生の後輩たちの背中を(そっと)押すことはできるかもしれません。

いずれにしても、来週から私が引率を担当する学生の中には、今回初めて韓国へ行くという人もいます。韓国留学経験者としては、自分の関わる国際交流プログラムが、彼ら/彼女らの背中を(あくまでそっと)押すものになれば、と思っています。
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2018.08.31 / Top↑
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